おはようございます。今日もお天気は曇りの、涼しい朝でございます。
今日は出勤ですが、まだ猫歩きミニを見ています。今週は何回かこの時間にやるのでしょう。楽しみです。


さて、知の小道具は、当初閃いた持ちネタをあと幾つか残すのみとなりましたが、だらだらと進めているうちにまた幾つか浮かんでくるでしょうから、あまり心配はしていません。
書いてみれば小道具というか、仕事への取組み精神であることも多いので、がっかりされる方もいらっしゃるかも知れませんが、ご容赦を。正直な私の取り組み姿勢や方法を述べているだけです。初めて表現することが多いので、まとまりができていないかも知れませんが、これもご容赦を。


2056現在。帰宅しました。
久し振りに出勤すると疲れますね。しかし今日は、夕方に眠くなるなどは無く、元気に勤めを果たしてきました。明日出社すればまた休みに入ります。
そう言えば会社ではくしゃみは出ましたが咳は出ませんでしたね。


帰り道、新装になった蔦屋書店で文藝春秋を買ってきました。芥川賞受賞作品の掲載号ですから。

12.どうやって深堀するか

興味あることも、もちろん経験値の中に自信のあることも有しているが、そんなに簡単に発想が広がるわけ無いよ。或いは、文章なんてそう易々と書けるわけ無いよ。と、思われる方も多いことでしょう。
私も昔はそうでしたが、今は全く視点を変えた考え方と方法を実践しています。
私も興味範囲は負けず劣らず広いのですが、その実力は斑らです。強いものは強いのですが、単なる好きに止まるものはほぼ何らの専門的知識も持ち合わせてはいません。しかし、何時も次のように考えているのです。


ーもし興味がわいたことが生まれたら
私の場合は、いま花がとてもすきで、自分の家の庭に大好きなスズラン、ハイビスカス、カサブランカを育てて、いや育てるのは連れ合いですが、います。いまのところただ好きなだけにとどまっています。しかし、もう少し興味が進んだら、次のように進めるつもりです。
①私は何故この花々が好きになったのか
②そしてそれはいつ頃で、何が自分のきっかけとなったのだろうか
③それまで花にはどう言う気持ちを持っていたのだろう
④この3つの花の共通点はどこにあるんだろう
⑤それが色であればもともとその色は好きだったのか、そうでなければ何故突然好きになったのか
⑥それが香りであれば、いままでその香りについて惹かれたことはあるのか
⑦それが形であれば、ずいぶん違うと思うが、どこに共通点があるのだろう
⑧それぞれの花について、源流はどうなっているんだろう


以上のように、花自身のことについて調べたり、自分の関心との接点について感覚的なものを言葉に置き換えてみたりする。こうやって自分への問いかけを広げてみれば、100や200の問いと答えが出てくるだろう。
大きく分けると、
①その対象自身について見つめる
②その対象に対する自分の心の動きを見つめる
ということになろう。


5W1H
前項の見つめる方法の他には、5W1Hがあるがこの中でもWHYとHOWが特に有用だ。これはこうだ、との答えに、それは何故?と問いを続けていくのだ。これを一つことに繰り返していくと相当に先の②のその対象について、自分の心の動きを見つめることができる。
HOWも同様だ。どうしてそうなる、どのようにしてそうなる、と続ける。WHYと組み合わせれば相当な深堀ができる。


ーメリットとデメリット、長所短所
その対象と自分の関係について、メリットとデメリット、或いは長所短所を上げていくと深堀ができる。例えば、花に例える場合、
①庭で花を楽しむメリットとは、毎日花と話しができる、晴れでも曇りでも折々に自分の気持ちを癒すことができる、花に集う蝶や小鳥など庭の豊かさを味わうことができる、家が明るくなった、毎日が別荘生活のよう、花で一句、花日記をつける、、、。
②庭で花を楽しむデメリットとは、虫が寄ってきて大変、毎日の水やりなどの手入れが大変、香りがきつくて隣近所迷惑、花が落ちると汚い、繁って日が差さない、、、。
などあげることができよう。
これらに対してどう考えるか深堀ができるのだ。


ー過去未来
その対象もしくは対象と自分の関わりの過去(歴史)と未来について考えてみよう。そのものがどのような歴史をたどってきたのか、未来はどうなるのか、また自分との関わりがどのような関係だったのか、この傾向でいくとどう進んでいくのかなど、深堀ができる。


ー私の関心領域は
私が梅棹忠夫先生の知的生産の技術に出会ったのが、大学を出て就職した年でした。この時以来、自分の生涯の研究テーマは知的生産の技術であり、いまもなおその研究を進めている。これは研究というより実践方法なので、いつも人の考え方やまとめ方に関心を持ち、具体的な道具化を考えている。
前に述べたパワーポイントを使った言葉の整理と図解などがそうである。
昔は、なぜなぜワープロというものを考えたことがある。ワープロが発する問いに答えていけば文案が出来上がるというものだ。
結局は、すべてが頭の中にある言葉をどれだけ刺激しながら掻き出すかに尽きると考えている。頭にないものは出ようはずも無いが、しかし今はなくても刺激を与えれば連想の中から生まれることも多い。