涙もろさは 歳のせい それとも ただ人がよいだけのこと。

5時起床。少々寝過ごした。天気は曇り。寒は強くない。
さあ、新しい日々が始まる。
新しい自分が始まったと思っている。これまでの囚われていた気持ちを全て開放し、新しい対応や考えに切り替わったんだ。


今日から取りあえずの2週間は、激務の日々が続く。ひたすらに頑張るだけだ。このことで囚われていた全てば忘却の彼方に消え、新たな方向が見えるだろう。きっと。


21時現在。帰宅。
今日は寒い一日だった。朝から雨が降り出し、夜になっても降り続いている。
午前中は、旅行の後始末をするために錦町の事務所で作業し、昼食を久し振りにKさんと三省堂地下で一緒する。もう随分良くなっている様で、一目見て顔のつやが違っていることがわかる。非常に嬉しい。Kさんにとっては、この4月に大きな会社の変革があり、心配事のはずなんだが気にしている様子は見せず、ある意味乗り越えられているんだなと思った。しかし、4月に大事が起これば、何とか身が立つように、各所に手を回して上げようと思っている。


午後からは、M社長の依頼で部品調達の納期に支障があるということで、そのメーカーのM社長に電話を入れて調整を取る。今や大メーカーの社長となっているMさんとは、大学の同じクラブの仲間だが快くいろいろと手配してくれた。来週は、有馬温泉で一緒に過ごすので、互いにいい結果が出ているといいのだが。


新聞広告の原案が出てきた。微細なチェックを重ねているが、今回は2紙に違う原稿を載せることになるので準備も慌しい。また、IR説明会用の原稿も届き、これは入念にチェック修正を行っている。今一番慌しいのがこの作業である。
今週来週は、極めて慌しい。
家に帰ってみると、連れ合いから目が真っ赤という指摘を受ける。鏡を見ると左目が真赤に充血している。毛細血管が切れているのだろう。視野に支障はないので全く気づかなかった。疲れが出ているのだろうか。
今朝事務所で、ある人にメールを書いていて、情が高まり不覚にも涙がこぼれてしまい、それを女子社員に見られてしまった。そのときにも既に目が充血していたんだろうか。
涙もろいのも辛いものだ。


昨夜から、ずーっと考えていることがある。それは、行事の進行に当ってしてはいけないことをやってしまったのではないか、ということである。終わってから気がついたことではあるが、そして流れのままに終わってしまったんだが、一つだけ取り返しがつかない傷をキーマンに与えてしまったような気がしている。穏やかな人だから無言で許してくれているのかもしれない。
自分の心配りができていない致命的ミスだ。もし自分がその立場だったら、いい気持ちはしないはずだから。
もう一つ、自分は余りにおせっかいが過ぎるのだろうか。何だか、空回りをしているようでもある。わきまえよ、ということだろうか。そうかもしれないな。


本日の車中読書は、”浅田次郎”さんの”日輪の遺産”である。