題名のない音楽会 涙する陰に 題名のない自分の人生。

7時起床。天気は曇り。目覚め快調。
今日は、ゴロゴロしないで活動的な一日にするつもり。まずは選挙からだな。
昨日は、ほんとに気持ちも身体も朽ち果てていた一日だった。早くに立ち直っておかなければ来週は辛いぞ。


9時35分現在。涙が止まらない。
何気なく”題名のない音楽会”にチャンネルを合わせた。
矢野顕子”さんと”森山良子”さんが”やもり”というユニットを組んで歌っていた。
最後の2つの歌に強く揺さぶられてしまった。聴いているうちに涙が止まらなくなって、このブログを書いているうちにまたまた溢れてきた。
これから題名を調べようと思っているが、一つは”谷川俊太郎”さんの作詞、”武満 徹”さん作曲で”死んだ男の残したものは”、もう一つはコーラスをバックに歌ったもので”森山良子”さんの作詞作曲で”あなたと歌おう”。素晴らしかった。”温泉に行こう”という歌も疲れたときには自分を振りかえるいい歌だったな。
自分がなんと、流され続けている情けない毎日を送っているか、踏ん張って生きていないか、感じさせられた。
矢野顕子さんは、これまで余り関心をもったことのない人だったが、先週TVを見ていて、会場の人の書いた簡単な詩に即興で驚くような曲をつけ、その才能に感動した。それから強い印象があったので、今日の新たな出会いは縁を感じる。
強いエネルギーを貰ったところで、お風呂に入って、さあ選挙からスタートだ。


言葉の難しさについて。
言葉って難しいね、いつもは丁寧に話していることも、本当に丁寧さが必要な急場の時には言葉が刃になっている。優しさを忘れてしまっている。もう取り返しがつかないところまできている。いつもは丁寧に話しているからといって、何の斟酌もない。
言葉の刃は、相手に深く突き刺さり、心をエグリ、魂を奪ってしまう。
そんなときに役にたつ何物もない。救われる拠り所はない。時間が解決するものか、それも不明だ。許されるものでもない。
そしてこのようなことは決して事前に分かるものではなく、言葉が相手の胸に刺さって、あふれ出す血を見て初めて気がつくものなんだ。
ただただ、自分の不明を心に刻むしかなかろう。ただただひたすらに。


13時20分現在。帰宅。
10時過ぎから出かけた。選挙に行った。サティに行った。お昼を食べてきた。
選挙は、のどかな中学校へポタポタと歩いて。途中の家々での草花が暑さの中で美しく咲いている。校舎からブラスバンドの練習音が聞こえてくる。もう夏休みなんだろうか。木琴の速弾きが美しい。
選挙の後は、来た道を戻り更に30分ほどにあるサティまで。CDを物色するためだ。”矢沢永吉”さんの”ツイスト”はあった。購入。早速聴いている。切ないな。バラッドが心を絞る。
あぁ、反省すべきことも自分を苦しめ、切なさが身に滲みる。辛い。


”やもり”さんは、店員さんが調べてくれて17日発売だといっていた。”東儀”さんのアルバムも目に入った。東儀さんは昨日TVで取り上げられており、”Cha”さんとのコラボレーションを見た。最後に、東儀さんの世界の民族楽器のコレクションを参加者全員が使って”スタンバイミー”を演奏し合唱している場面があった。音楽の美しさや楽しさはこんなところにある、ジンとして拍手を送った。余力があれば東儀さんのアルバムも聴きたい。しかし、これはレンタルするだろうな。