静かに暮れる 夏の夜に 花火の音が 遠くの故郷の夏を 届けてくれる。

9時起床。天気は曇りかな。やや蒸し暑いが、時折涼しい風が身体を通り抜ける。
”やもり”ユニットの”あなたと歌おう”を聴きながら長閑な朝を過ごしている。隣の家は、旦那さんが大型バイク(恐らく1000cc超)のメンテナンスをエンジンをかけて行っている。車のエンジン音は嫌いだがバイクの音は別物だ。


今日の予定は、キーマンに電話をして確認しておかねばならないことがある。仕事となればそのモード。なければ買い物ついでに散歩して帰ってこよう。


一昨日の新聞折り込みに、よく行く楽器屋さんで二胡とキーボードのレッスン募集が入っていた。二胡については、昔から習いたかった楽器だ。”チェンミン”さんに憧れている。あの悠久の大地に流れ響く音色を自分の手で奏でたいと思っている。永い間の夢であった。心が揺れている。
キーボードについてはすでに楽器があるので、いつでもどこでも曲の幾つかを弾けるようになりたいと思っている。
この忙しい時間の中、そんな時間が生み出せるかは別として話を聞いてこようと思っている。
特に二胡を教えているところは、以前探したところでは極めて僅かだった。
音楽が、自分にどんな躍動を与えてくれるかついてはよく分かっている。物語を書くよりも、詩歌を書いている方が心は濡れてくる。本を読んでいるよりよりも、音楽を聴いている方が、一瞬にして心の中を天然色に染め上げてくれる。


14時半現在。
ふと思い出し、先週買ったままにほっていた文芸春秋を読みだした。第143回芥川賞受賞作”乙女の密告”だ。文芸春秋は、以前毎号買っていたが、今では受賞作が載るときだけ。時事的な話も面白いことは面白いのだが、定期的に買うのは積読になるので控えることにしている。いまや全ての雑誌について控えてしまった。


22時現在。
PCのソフトウエアアップデートの間を縫って、”乙女の密告”を読了した。なかなかに骨のある作品で、緊張感を持って読んだ。文芸春秋で受賞作を読むことの意味は、受賞に至る委員の作家たちの講評が面白いからだ。真逆な評があり、それぞれに納得する。
さて、きょうは結局近くのマーケットまで煙草と豆腐とアップルパイを買いに行っただけというありさま。なんとも自堕落な。


自分は小説を読むのが本当に好きで、毎日毎日何か読み暮らしている。もちろん仕事は十分にしているつもりである。この両者が自分の中で両立しているのは、仕事にクリエイティブな要素があるから、いやクリエイティブな要素を持ち込もうとしているからだと思っている。
幸せなことだが、イベントの仕事を長らくし続けて、いまは総務の仕事に変わっているが、自ら進んで、いや獲得し続けて宣伝や広報の仕事を取り込んでいる。
手続きだけに終始する仕事は、どうにも性分に合わないからだ。
昨日の相棒たちの懇親会で、自分たちの仕事がどのように評価されるかについて相棒は疑問を呈した。自分には、その疑問を感じることなく生きてきただけに、どう答えていいのか分からない。自分は恵まれているのだな。と思った。
自分には、いつもクリエイティブの第一線の仲間がいた。その評価で十分だった。さらにはおだてる上司に恵まれてきた。これまでの上司は、クリエイタ―ではないものの、自分以上に文章や表現にうるさく卓越した人で、常に指摘や指導を受けてきた。
だからいいものはいい、と言われ、これは不出来だとハッキリと指摘された。相棒が言う、”こんなものだろう”とは言われたことはない。
残念ながら、自分にはこれに答える回答は持っていない。もし自分だったら、適当な評価は気にする必要もなく、思うようにやるしかないのではないのか。そう思うだけだろう。相棒には、随分な才能があると思っている。繊細だと思っている。この2年以上直接の仕事のかかわりがないが、自分の部下だったころは、その繊細さ緻密に驚いた。大雑把な自分をよく救ってくれた。彼に任せていれば仕事はすべて完成していた。
今は、側面から応援してあげるしかない。頑張れ。


いま、矢沢永吉さんの”ツイスト”を聴いている。素敵なバラードが入っている。矢沢永吉さんは、作曲で詩は別の人とのコラボレーションと聞いているが、自分にはこの詩は矢沢さんの意図をよく感じている人が書いていると思っている。のし上がってくる時代時代の苦労がよく描かれている。だからこそ多くのやんちゃたちに感動を与えるのだろう。好きだな。本当に好きだな。