戦争とは何か、命とは何か、命を捧げるとは何か、もはや誰も未熟な青い精神論根性論に耳を貸し、身を捧げる者など、誰もいない。

おはようございます。
風がとても心地よい朝です。
今日は一日外出ですが、待ち時間には、本とiPadで過ごせます。


1150現在。千葉大にて。
現在、診察待ち。きょうは、血液と尿検査がないことをすっかり忘れており、早めに来てしまった。


最近は、終戦記念日特集のテレビ番組を見ない。それは百田尚樹さんの小説、永遠のゼロ、を読んでからだ。終戦記念日に生まれたから、特にその思いが強い。戦争とは何か、人をどう変えるか、命とは何か、捧げるに相応しい命令と作戦とは何か。根性や魂に裏打ちされた日本は、今もなお存在する。
特に、飛行機も熟練したパイロットも逼迫している状況において、帰りの燃料をも積まず、神風として死んでこいと言う暴挙については、精神主義の他なにもないであろう。
負けることが分かりつつ、死ぬことの精神美学に酔いしれる。これを象徴の為という。
戦争。一旦始まった戦争なら、勝つ為に、或いは国民の人命を最も生かす為に、戦局を作戦すべきである。
何も、戦争を肯定するつもりはない。


1240現在。
漸く診察が終わる。十一月のCT撮影が決まった。相変わらず、小さな影があるという。


再び戦争について触れる。
父は戦車隊だったという。中国に派兵させられる前に終戦だった。義父は、学徒出陣で徴兵され、神風の訓練を受けていたという。突如、海軍省に転属が決まり、特攻隊とはならなかった。
帰ることのできない、可能性ゼロの出陣とはいかなることだろう。その決意をすることは、どんな思いなんだろう。
国を守る為に命を捨てる可能性があることは、兵士の誰もが思ってはいるだろう。
しかし、それは兵士の思いであり、死を目の前にすれば、壮絶な決断だろう。その思いを、軽々に根性や魂、と言う言葉に置き換えてはならない。国民の命を守り、かつ、勝利する為のオペレーションが戦略であり戦術であるはずだ。
国の為に死を決意した兵士の気持ちと、戦略戦術未熟のあげく死を選ばざるを得ない状況とは、正反対なものだ。
本当の根性や魂、とは大将が首を差し出してでも、国民を守る為に早く戦争を終結させることではなかろうか。


1420現在。年金事務所にて。
相当待ちますよ、との言葉だが待つしかない。待つのは病院で慣れておりまして。
書類をチェックしていると、証書が一つない。どうしよう。腹を括る。今日は相談なんだから。コピーでもよければ、明日もう一度くることはできる。


1515現在。
年金事務所終了。
思惑とは異なる書面の不備があり、明日市役所で証書を取り、再度年金事務所にくることになった。これで完結となればそれでよし、だ。対応は実に親切だった。有難いことだ。
結局慌ただしく終わるお盆休みである。


本日の一句。


放ったらかしのキーボード、薄っすらと埃つもり、ゴメンねと一曲弾けば、コードキーだけ真新しくなる、物臭の権化。


苦しみも悲しみも、人の礎の上に咲く迷い花、天災も戦争も、我らに真の平和を知らしむ試練だろうか。



朝:生姜蜂蜜トースト、目玉焼き、ソーセージ
昼:千葉大地下の天ざる蕎麦
晩:茄子とピーマンの炒め物