我がバイクとの記録

序章
 平成15年5月現在56歳。
 30歳にしてバイクの免許を取り,40歳にして自動車の免許を取った私は,人から言わせると随分な変わり者である。
 25歳から30歳までの間は,自転車ツーリングにのめり込んでおり,自転車を汽車に輪行しては紀伊半島縦断や京都名古屋間,東京小田原間など長距離ランを楽しんでいた。
 自転車というものは不思議な乗り物で,長距離を走りだすときにはしばらくは行きたくないというか戻りたいという気持ちになる。1時間ほどこいでいると吹っ切れてしまう。戻り道は逆だ。帰りたくない,このまま旅を続けていたいという気持ちが強く働く。
 会社勤めの夏休みにはいつも1週間ほどの休暇をとって長距離を楽しんでいた。遅い青春だった。

 こんな私がバイクに出会ったのは,御茶ノ水の,確かミズノスポーツかミナミスポーツのショーウインドウに展示されていたモトクロスバイクを見たときであった。
 精悍な姿に瞬間魅了され,教習所に通い高校生たちと授業を受け免許を取り,当時話題であったトレールバイクHONDA−XL250sを購入し,飽き足らず逆輸入車のKAWASAKI−KLX250に乗り換え,身も心も中年オフロードライダーとなったのであった。この間の数年にわたる体験を出版社の山海堂から「アダルトオフロードライダー」として出版した。

 その後,自分の腕前とは別に戦闘力のあるバイクを求め探し,世界最高峰のオフロードバイクであるオーストリア製のKTM-250GSを見出し,購入することになった。このKTMとは,その後約10年間にわたるオフロードバイク生活を伴にした。今もこのバイクのオーナーであったことに誇りを覚えている。

 ここから始まる物語は,10年間の恋の思い出かもしれない。
当時,日本車の馬力が23馬力程度であったことを考えると驚異的な馬力であった。また,組み込まれていた全てのパーツは世界の一級品ばかりであった。(1986年)

第1章 KTMとの出会い

 逆輸入エンデューロバイクKLX−250には,およそ2年ほど乗ったであろうか。XLと比べるとパワーはほぼ同程度の23馬力ではあったが,サスペンションストロークに著しい性能差があり,ジャンプやギャップへの対応力は比べものにならなかった。

 XLとの比較で驚いたのは,日光の志津林道での走行時であった。この志津林道は,当時毎年チャレンジしていた御用達コースであった。裏見の滝,光徳牧場,山王林道,田代山林道,唐沢林道,木賊温泉と続く野趣に溢れた長距離林道ルートである。志津林道は日光駅から近い裏見の滝から入り,大きなゴロ太石が連続するやや急な長い登りが延々と続く。この登りは,この石に大きくハンドルを取られ,すぐに腕上がりしてしまうハードなコースだ。だがKLXは見事に違った。サスはギャップを難なくこなし,上体がバランスを崩すことは無い。もちろんモトクロスタイヤを履いているせいもある。
 一斉に走り出すと必ずやレースになるのがライダー気質であるが,KLXの私は他のXLライダーを大きく引き離し,余裕すらあった。が,それは決して腕のせいではなかいことは自分が一番良くわかっていた。

 当時,土日の過ごし方の定番メニューは,朝から夕方まで現在の幕張メッセやデズニーランドあたりの荒地を練習場として駆け巡っていた。この場所は,千葉圏のオフロードライダー達のメッカであり,土日は賑わっていた。
 誰が仕切ると言うことなしに,草レースが始まり,仲間になり,バイク談義をし,マシンの交換試乗を行う。そんな中,モトクロッサーとの競争では必ず負けてしまっていた。確かに,モトクロッサーに乗せてもらうと,その違いは明らかであった。
 KLXもサスペンションストロークは長いが,モトクロッサーには及ばない。重量差も著しい。2ストロークエンジンと4ストロークエンジンの馬力の差は大きい。KLXは4ストロークエンジンであり,大変マイルドなパワーの出方をする。これに対してモトクロッサーはピーキーであるが,パワーバンドを捕まえるととてつもないパワーが出る。コーナーをクイックターンして加速に入るときなどの加速感は比べ物にならない。

 うーん,これはくやしい。
 負けず嫌いとしては,何とか対等でありたい。しかし,モトクロッサーを買うわけには行かない。何故なら,自分は車の免許を持っていない。つまり,モトクロッサーはナンバーが取れないため,乗るためにはコースまでバイクを運んでくる手段が必要となる。また,コースばかりではなく林道も走りたい。
 このことからモトクロッサーの性能を兼ね備えた,かつナンバーも取れる,バイク探しが始まった。本来の探究心から調査にのめりこんだ。結果,そのようなバイクはエンデューロバイクと言われているものらしいことが判明した。 ヨーロッパでは,特設コースを作って行うモトクロス競技のほかに,エンデューロと呼ばれる,自然の山河,荒野の地形を利用した長距離耐久競技が盛んであった。このエンデューロマシンは,日本製品では存在しなかった。正確に言えば,日本のメーカーも作ってはいたが,国内では販売していなかったのである。

 あるとき,雑誌上で日本でエンデューロ競技を紹介している人物として,「トシ・ニシヤマ氏」の記事を目にした。同氏は,記事中でエンデューロ競技に使用されるマシンとしてKTMを紹介していた。世界最高峰のオフロードバイクであり,次々とレースを制覇しているのだと語っていた。また自らもそのマシンの魅力のとりこになり日本の販売代理を行っているとのことだった。

 早速,大田区のショップに出向きトシ・ニシヤマ氏に逢って話を聞いた。試乗もさせてもらった。そのバイクがKTM-250GSであった。空冷エンジンの最後のモデルだった。試乗した印象は,まるでじゃじゃ馬である。モトクロッサーとは大きく異なり,エンジンはピーキーではなくどの回転数でも一様に極めて強力なトルクが出た。
 不用意にアクセルを開けようものなら,ライダーを置いてバイクだけが突進する。ハンドル幅はこれまでのバイクには無い広さであり,大きなギャップに入っても自分の腕で押さえ込むことができる。
 これに乗りたいと言う気持ちが即座に湧き上がってしまった。問題は,価格だ。100万円を超える値段であり躊躇する。当時のXL-250sが30万円程度であり,これはいかにも破格である。しかしどうしても抑えきれない。

 1週間後,バイクの入荷連絡があり引き取りに行くことになった。確か,土曜日であった。当時,ロボットで人形浄瑠璃を演じるという「黒衣ロボット」を開発中であり,土日に関係なしに会社に泊まりこんでいた。
 大田区のショップから恵比寿の事務所までは,バイクで30分程度の距離である。しかし,慣らし運転ということもあり1時間ほどかけてゆっくりと帰路に向かったことを覚えている。


第2章 ジャジャ馬慣らし

 KTMがやってきて初めての土曜日。KTMで幕張のコースに行くと思うと,気が高ぶりあまり寝付けないまま早朝から支度に取り掛かる。天気は絶好の快晴である。オフロードライダーとしてはだらしなく,ヌカルミが嫌いだ。KLX時代に転倒で両ひざの靭帯をのばしており,泥沼の中で足の踏ん張りが利かない体であるからだ。
 モトクロパンツをはくと気分が締まる。工具の入ったウエストバックだけを荷物として家を出る。KTMにエンジンをかけるのは,家から広い道路に出てからだ。2ストエンジンで,かつあまり消音機能がないエキパイとマフラーではとてつもないバリバリ音が近所迷惑となるからだ。大人のライダーの気の使いようは一入である。

 出発である。まずはスタンドで給油。KTMは,エンジンオイルを直接フューエルタンクに混合する代物だ。つまりオイルボトルをいつも持ち歩いて,給油のたびにガソリンタンクにオイルを入れ,車体をゆすってよく混ぜるのである。スタンドのスタッフは,いまどきこんな作業をするバイクは初めてのようで,どのスタンドによっても不思議な顔をされてしまうのである。ガスはもちろんハイオク。容量はせいぜい12リッターそこそこしか入らない。KTMの燃費はすこぶる悪い。リッター当たり10Km程度。同じ250ccの4ストバイクでは20Km程度は普通に走るのだから遠距離ツーリングでは(それも高速道路を使う)給油ポイントの計算にひどく気を使う。
 
 幕張コースに到着である。まだ早いせいか数人しか走っていない。ほとんどがモトクロッサーだ。バイリバリ音の迫力とオイルの焼けた匂いが興奮を一層高める。今日一日を過ごす空き場所を定め,バイクのスタンドを立てる。KTMのスタンドはサイドスタンドではなくセンタースタンドだ。これはレース中にタイヤ交換などのメンテをするとき役に立つという。ちなみにキックペダルは左側についており,通常のバイクとは逆になっている。これは泥沼でのキックを行うときに車高の高さもあって,跨ってキックを踏むのではなく,降りた状態で右の利き足でキックが踏めるように設計されているという。エンデューロバイクは自然の山河を走るために,サポートが整っていないあらゆるトラブルに対応できるように細かい配慮がされているのだ。

 ウエストバッグをはずし,ハンドルからミラーを取り外す。これだけが走り出す前の準備だ。そうそう屈伸の準備体操は欠かせない。怪我でもすれば仕事に差し支え,好きなバイクどころではなくなってします。
 ゆっくりとコースに入る。体を慣らすために立ち乗りでコースを数周する。どんどん追い越されていくが彼らの邪魔にならないようにコースを選ぶ。
 やけにクラッチが重い。すぐに腕上がりしてしまった。そうだ,クラッチは使わなくともよいのだとトシニシヤマ氏が言っていたな。と思い出した。これまでは,今までどおりにクラッチを使ってシフトしていたが,コースのようにシフトを頻繁に繰り返す場合にはとてもやってられないほど重いのだ。
 早速,恐る恐るクラッチを使わずシフトしてみた。ガツンとショックがありしっかりとシフトできる。ずいぶん妙な感じだが,これはいけるかもしれない。ニュートラルを出すときと,スタート時だけはクラッチを使わないとスムーズではないが。

 いよいよ気を入れて走ろう。
 モトクロッサーに比べると車重があるので,コーナーで捻じ伏せる感じが強い。しかしコーナーを抜けて立ち上がる直線の加速は凄い。4ストエンジンとは比べ物にならない加速だ。ブリブリしたパワーが地球をかじる。低速からのトルクもものすごい力だ。おまけにシフトにクラッチを使わないので瞬間でも回転を落とさずかきあげていける。腕さえあればモトクロッサーにも負けない。おまけにハンドル幅が広いことが直線の安定感を強く維持してくれる。
 ものすごいパワーと加速のまま次のコーナーが迫ってくる。
 ブレーキだ。ブレーキだ。


第3章 テクニシャン

 何と直進性の強いバイクなんだ。KTMはまっすぐ立ったまま,凄いスピードでコーナーに向かっている。ブレーキを強くかける。前ブレーキをロックさせると即座に転倒して怪我などの不慮の事故になる。前輪ブレーキはロック寸前のぎりぎりまでコントロールし,後輪ブレーキを思い切りかける。後輪がロックしてホッピングし,スライドし始めている。車体を傾け,身体をリーンアウトし片足を路面に接触させ,ハンドルを何とか捻じ伏せることができるほどにスピードは落ちてきた。コーナーのバンクにも助けられたが,バンクのかなり上方にまで上ってしまい,いつ飛び出してしまうか激しく心臓が鼓動するほどであった。しかし,なんとかコーナーを抜けることができた。

 強い動悸が治まらない。このままコーナーを抜けた後は大きなコブが続く。既に両手指と腕は,腕上がりしている。ハンドルバーを強く押さえ込み,ブレーキをコントロールすることができるかどうか。不安のままギャップに入る。直進性の強さはギャップでの威力を発揮した。どんなに車体が振られても,まっすぐに進む。のである。良いバイクは,乗るだけでライダーのテクニックを育てるのかもしれない。

 コーナーを抜けた後の立ち上がりやコブを飛ぶときのアクセルのタイミングあわせについては,2ストと4ストの違いがはっきりと現れる。ライダーの好き嫌いもあるのだろうが,これほど2ストの凄さを感じたことは無い。 これまでは,燃費の経済性や扱いやすさから4スト派であったが,KTMに乗った途端,その思いは消え去った。オフロードは2ストに限るのである。いや。KTMに限るといったほうが良いのかもしれない。アクセルを開けると,その反応が直ちにパワーとして返ってくる。4ストは,アクセルコントロールに対応して反応がしばらく遅れてしまうため,コーナーを抜けてアクセルを開いてもドタドタとゆっくりパワーを増してくる。ところが2ストときたら。アクセルを開けた途端にガリガリとタイヤが地面をかじり前に出ようとする。体制の準備ができていないと振り落とされそうなパワーである。この感触を味わうと,二度と4ストには乗れなくなる。いや乗りたくなくなるといったほうが正解だろう。

 自分にたいしたテクニックがあるわけではない。むしろ怖がりで、そのほとんどをシートに尻をつけて走っているのだから、いつまでたっても初心者ライダーあるいはおじんライダーの類なのである。しかし、KTMは精神的にも実質技巧的にも腕を上げさせてくれるのである。圧倒的に腕に自信がついている。怖さが遠くなっている。のだ。

 ようやくコブの連続を抜けた。しかし、腕上がりがひどい。俺はやはりビギナーなんだ。それはそうだろう。毎日毎日デスクワーク。運動なんかは全くしていないのだから。突然コースに来て突然走り出す。せいぜい準備運動が運動らしきものだ。
 これでは何かあったときに大きなダメージを受ける。しかし、それはそれ毎日のメニューの中に体力を鍛えるような気は持ち合わせない典型的なB型人間なんだから。

 コブの次は一番の苦手な濡れ場が待ち構えている。濡れ場とはいっても、色気のほうではない、ヌカルミのセクションだ。深いヌカルミも表面だけがツルツルの両方がこのセクションには用意されている。怖いのはツルツルの方だ。途中でアクセルコントロールをしようものなら直ちにスリップ。これがまた痛い。ツルツルは表面だけがツルツルでそのすぐ下はカチカチの土だ。いや石といってもいいかもしれない。
 ツルツルでコーナーが用意されてでもいたら、俺はそこを迂回するだろう。というくらい苦手だ。

 一緒に走っているモトクロッサーに乗った連中は、俺の横をすいすいと抜き去っていく。転倒でもしたらすぐさまひき逃げにあってしまうだろう。ツルツルセクションはおとなしくアクセルも一定に、ブレークのかけず、足はステップから離れ、実に頼りない走行スタイルでようやく通り過ぎることができた。


 とある日、もう一つの練習コース浦安にトシニシヤマ氏の一団が現れた。この浦安コース(まだデズニーランドが建つ前の事である)は、砂場中心で広く雄大なものである。トシニシヤマ氏達はもちろんKTMばかりだ。彼らは、独特の爆音を立てながら、特に砂地のコースを占領した。激しい走りだ。後輪は、嵐のように砂つむじを後方に飛ばしている。自分も誘われるように、その軍団の一味となる。ニシヤマ氏に軽く目で合図をして、最後の列に加わる。とはいえ、列は相当に分断され、走りの実力に応じて間隔に大きな差がついている。とにかく遅れない様についていくのが精一杯だ。
 砂地でのKTMはちと辛い状況がある。それは車体重量がモトクロッサーに比べて重く、タイヤのグリップがない時には、砂を跳ねるだけで潜り込み易いからだ。それだけに車速を保っていないと、扱いにくくなること必須だ。
 KTM軍団は、一定の速度で軽やかに周回を重ねている。やはりベテランは違うものだと感心した。


第4章 強烈な振動によるトラブルも可愛いもの

 エンデューロマシンの特徴は、ナンバーが取れ、公道を自走できることにある。自動車の免許を持っていなかったこともあり、コース通いをし、モトクロッサーの性能を楽しむにはもってこいのマシンであった。
 こんな言うことなしのお気に入りマシンであったが、欠点もある。それは強烈な振動のために、部品がぽろぽろと外れ落ちていくことだ。最も外れやすい部品は、センタースタンドを引き戻すスプリングであった。これは何度付け替えても飛んでしまう。最後は、ゴム紐でフレームに括りつけていた。
 最も驚いたのは、キックペダルであろうか。高速道路を使って浦安コースまで走っている途中、料金所で一旦エンジンを切って(なかなかニュートラルが出難いせいもあって)料金を支払って、いざキックを踏もうと思ったらキックペダルがない。何処で落としたかの意識もなく、ただ出かけるときにはキックを踏んでエンジンをかけたので、どこかに落としてきたことには間違いがない。もう諦めるしかない。暫くは押しがけでスタートするしかない。
 このKTMの部品だけは、どこのバイク屋に行っても調達できず、都度大井のトシニシヤマさんの店まで通うことになるのである。キックペダルが飛んだのは、この一回だけであったが、それは毎回乗るたびに各所の増し締めを確認することを怠らなくなったせいもある。キックペダルも確か1万円位したのではなかったろうか。
 愛嬌だったのは、これも高速道路上のことであるが、スピードメーターがポンとハンドルバーから飛び出し、これはビックリはしたが上手に片手でキャッチできて、散財せずに済んだ。
 また電装関係は、購入当初から殆ど無いと思ったほうが良い状況だった。つまり、ウインカーは挙手に代え、ヘッドランプは役に立たず日が昇り日が落ちるまでの間の行動に限定することにしていた。夕暮れに差し掛かる移動の時は、別途大きな懐中電灯をハンドルバーに括りつけて、交通検問に掛からないように気をつけていた。だがこのような光で、夕闇を走る事は決して安全ではなく、殆ど前は見えないと思ったが良い。

 このように文章で書くと、誠に不便なマシンのようであるが、実際に穏やかに林道ツーリングで使っている分には、一定の連続振動であり、さしたる問題は無いと思う。だがコース走りをする時には、激しく可変させるエンジンの振動ばかりでなく、ジャンプや細かいギャップの着地の衝撃、転倒の衝撃等、想像以上の衝撃や振動が加わり、毎回注意深い点検やネジの増し締めが必要だろう。
 振動の強烈さは、あとにも登場するツーリングの際に身体で計測できる。自分自身は、KTMでのツーリングは日光の志津林道でしかないが、高速道路上での給油所で毎回給油していくときに、マシンから降りる度に腰から下が感覚がなくなっていることである。急には動くこともトイレをすることも出来ず慌てたことがあった。バイクの必須であるニーグリップを強くする事は、このバイクに関しては工夫を凝らしたほうがよろしいでしょう。
 KTMの指定タイヤは、ミシュランのモトクロス(エンデューロ?)タイヤだが、このタイヤはかなり硬度が高く、高速道路を長距離走っても減りは少ない。その分、タイヤ交換には技が必要なようで、自分でやるには大きな労力が必要だった。仲間のバイク屋さんでも結構苦労していた。硬くて外れない、外れると今度は入らない。最後は、リムに傷を付けてしまった。
 このタイヤは、硬いだけに泥濘路面、凍結やツルツル路面、砂地にはグリップが弱い。しかし、通常の土やアスファルト路面には圧倒的に食い付きが良いのだ。


第5章 終章 思い出の志津林道

 バイクの楽しみにはいろいろあろう。ツーリング、メカいじり、コース走り、別の観点からは、モトクロス・エンデューロ、トライアル、ロード、アメリカン。
 自分にとってのバイクは、楽しみはエンデューロマシンでのコース走りと林道ツーリングであった。
 2008年1月現在では、腰を痛めたことにより既にバイクを卒業し、バイクとはもう縁のない日常を送っているが、郷愁は一入のものがある。もし次にバイクを買うなら、絶対にKTMと決めている。その次は、笑われてしまうのだがハーレーのローライダーなんだ。残念ながら、大型限定解除免許を持っていないために、ハーレーには絶対乗れないのだが。
 バイクは人生の中で今でも大きな位置を占めている。仕事の付き合いでも、初対面であろうとも相手がバイク乗りということでもなれば、もう友人なんだ。
 30歳でバイクの免許を取りホンダXL250sに乗り、逆輸入車カワサキKLX250に乗り、KTM250GSに乗り、一方通勤用にホンダGL400に乗った。バイクを降りたのがKTMで腰を痛めて泣く泣く手放す45歳まで、一途にバイク乗りだった。
 乗っている期間、近所のバイク屋さんを中心とするバイククラブの会長も務め、仲間と年に何回もツーリングに行った。あの仲間達は、今もなお元気にツーリングをしているのだろうか。

 クラブのツーリングの定番は、日光の志津林道を経由しての木賊温泉行であった。毎年一回、春から夏にかけて行っていた。日光、志津林道、光徳牧場、山王林道、木賊温泉と言う行程だ。
 特に、あまり開かれていない志津林道が気に入っていた。日光市街の裏見の滝の横から志津林道に入り、当時は入ってすぐにゲートが降りていたが、ゲートの渡し木をバイクを担いで渡す大汗掻き作業こそあるもののあとは快適スリリングな林道であった。
 全ての行程が、ゴロ太石、山土、倒木、砂利で自分の嫌いな崖っぷちは、一箇所しかない。それも登り行程なので、決して崖下を見ることはない。登りは結構きつく、ある程度の速度を保っていないとバランスを直ぐに崩す。秋に行ったことはないが、紅葉の綺麗な所であろう。
 大雨が降ると、その細い林道は直ぐに川となり、やや赤土を含む道は、よほどのパワーと力量が無いと押して登るほかなくなってしまう。
一度、春に登った時には、メンバーは6名程度であったが、初心者2名ほど含んでおり、山頂に近いところで大雨となり雷も落ち始めてきた。最悪の天候だった。
 山道は、川となり、タイヤはグリップを失い、初心者はバイクを右に左にスリップさせ倒してしまう。皆が藪を漕ぐ状態とでもいえようか。ベテランは平地までまずバイクを乗り進め、初心者のバイクを後押ししながら登る。こんなときはトライアル車だったら足つきも良く、また軽量で取り回しも楽なんだがと思いながら必死で共同作業を行った。日光山中は、春とはいえまだ雪で通行止めになっているところもある。
勿論風も冷たかったので、服は防寒を凝らしていたが、その上にポンチョをかぶって悪戦苦闘していた。しかし、雨に打たれる寒さは厳しく、身体が震えるまでになってきた。グローブは水を含み指はカジカンデきている。ひょっとすると遭難かという事態も想像した。当初、ゆとりある時間でスタートしたが、まず最初の志津林道ですでに空は暗くなってきていた。雷も怖くて、激しい時には皆で身を寄せ合っていた。バイクから離れ、大木から離れ、していた。近くには落雷で倒れている大木が一杯の山頂近くであり、怖さは尋常ではなかった。
 こんな時でも、KTMは素晴らしい力を発揮し、決してグリップとパワーを失うことなくリーダーシップマシンであった。一番は、タイヤの性能とそのグリップ力、エンストした時の左キック、坂道で乗車姿勢でキックを踏む辛さを目の当たりにした。反面、重量は辛かった。だが他車はトレールマシンなのでKTM以上の辛さだったであろう。
 
 雨宿りをしている最中に、漸く雨もやんだ。だが日が傾いでいるとき、先を急がねばならない。目指すは木賊温泉で予約もしてある。かなり調子よく飛ばしても、夜にはなるだろうな。そんな思いが、皆も心を占めている。とにかく皆疲労困憊なのだ。寒いのだった。
 光徳牧場に着いたときには、もう夕方で日は落ちかかっていた。光徳牧場の売店で山王林道の様子を聞いた。結構封鎖されていることがあるからだ。一度は、台風のあとの崖崩れで通行不能だった。
 うーん雪の状態でどうかな、あっちはあまり知らないんだ。と言う頼りない返事だった。ここら辺の人は、日光市街から通ってくる人が多いいのだろう。
 しかし、山王林道ばかりでなく、更に山深い林道が2つ控えている。一つは崖そばを含んでいるし、志津林道より標高が高い田代山林道なんだ。ここで皆が決断した。助かった、自分のKTMは夜の走行には向いていないからだ。今度は自分が皆の足を引っ張ることになる。
 夜の林道は止めよう。木賊温泉旅館に電話で情況を説明をし、お断りを入れた。当日のことで相手先も困ったことであろう。だが、毎年来てくれるお得意さまでもあるし。

 光徳牧場にはホテルもあったが、既に満室。寒さに震える中、いろいろ電話で問い合わせして、近くの温泉宿が空いていた。安堵だ。
 宿に着くと、そこはもう別天地。冬山の温泉施設の設えが整っており、乾燥室が有難かった。全ての汗と雨に濡れた衣類を乾燥室に入れて温泉に浸かった心地よさ。天国であった。

 この林道体験が、恐怖感と準備の重要性を植えつけてくれた気がする。
 有難う、KTM。有難う、愛着深い志津林道。有難う、今はなき幕張と浦安のモトクロコース。
 我が青春の輝かしき日々であった。