0851現在。
おはようございます。大曇りでいまにも雨が降りそうなお天気です。
昨夜は、猫歩きを見ながら、半ばにして眠りに落ちました。穏やかな懐かしい夢を見ていたようです。
今日の予定は、散らかしたままの確定申告関連ゴミを整理すること、少し仕事をすることでしょうか。

最近のニュースで、透析の中止を医者が選択肢として勧めるというものがありましたが、透析をやめれば必ず近々死に至ることの説明不足だとしか考えられません。それに透析を止めてからの死に至るまでの苦痛は、患者さんも経験したことのない世界でしょうから、ある部分医者の言うなりになるしかなかったのでしょう。けれども、腎不全や尿毒症で意識が混濁して、時間を経るほど死に近づいていく苦しみや残酷さは想像するだけでも悲しいものがあります。
それまでは意識がはっきりしていた人間が、何か毒を飲まされたように意識が薄れて死に至る。恐ろしいことです。意識が既にない患者さんに、透析を中止することとは意味が全く異なります。
義母のように、自脈が僅かしかない90歳を超えた老人に、それでも元気に生活している老人に、もうペースメーカーは止めましょう、ということ同じです。
医療費がどうの、と言うことを盛んに言う人がいます。私には理屈は分かっても、人の道だとは思えません。理解できません。人は、長い歴史を経て、何を、そして何のために文化や文明を、そして科学を築き上げてきたのでしょうか。


1142現在。
お風呂上がりで大汗をかいております。スッキリとして午後を迎えることができます。
話は午前の続きです。
私のガン闘病は、高価な薬の処方があって成り立っております。もちろん、現在の高額な自費負担でも何とか生活ができるから治療が継続できるわけで、もっと高価な抗がん剤治療なら私には諦めるしかないのでしょう。自ずと限界はあることは分かります。
そして経済か治療かの選択肢の中で、手に負えない高額な薬や治療を諦める事態もいずれ来るかもしれません。そんな時は、時代が間に合わなかったと諦め、手に負える経済の中での治療を受け、命が永らえるか否かの選択をするでしょう。そのポイントは、時間の経過と命の問題だと思います。
神の手の医師の施術が受けられなくても、高価で薬効のあるしかし手が出ない値段のため処方を受けられなくても、時間との闘いがあって諦めもつき、死への旅を納得することができるのでしょう。私のように、もう高齢であればその諦めは早くつくでしょうが、働き盛りの若い人たちだったらどうでしょう。神の手があれば、高い薬があればと悔やまれるでしょう。
難しい問題です。私は、60歳で腎癌を患い、ちょうど70歳で小腸癌を患いましたが、幸運にもまだ永らえることができ、家庭にも周りの人々にも恵まれ幸せに過ごせています。この延長上に、人生が完うできれば何よりの幸せだったと言えるでしょう。
この先何が起ころうとも、もう何事も受け入れることはできるのかもしれません。


1746現在。
今日も何もしないうちに一日が終わった。何と早いことでしょう。
疲れもあるのか、ウトウトしっぱなしでした。

朝迎え湯たんぽの残熱に伸び一つ。
最近の朝の思い。冬の間、毎日湯たんぽを入れて寝ているが、朝になるとかなり湯温が下がってくる。しかし、人肌程度の暖かさはあり、何故かホッとする。幸せな気分になるのだ。不思議なものだね。


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