0846現在。
おはようございます。ちょっとは空が明るい朝でございます。
かなり疲れていたようです。よく寝ました。普段会社に出るときはせいぜい4千歩くらいしか歩かないのですが、昨日は6千歩近く歩いていた。昨日はそれで元気があって、自宅へのバス手前の木になる喫茶店に寄ろうと思い行ってみるが、休みのプレートが掛かっていた。まあこんなものなんでしょう。

昨日葬儀であった女性、そう言えば長姉の葬儀の時にも見えていた。とても明るくて楽しい方だった。火葬場の待合室で色々と話を聞いたが、今回も明るく楽しい話だった。聞いてびっくり、元警視総監の娘さんだという。

1204現在。
お風呂上がりで汗だくだく。庭の緑を眺めて、義兄の勤めていた病院グループ等を検索している。相当に大きなグループだということが分かる。仕事柄病院と関係があるが、これまでは身内の関係を仕事に持ち込むつもりはなかった。これからもそれは変わることはない。亡くなられてからは特にそうなるだろう。自分の病気のことについても、腎癌を患った時に義兄の出身であるC大病院にて手術を行ってもらったが、担当の先生にも義兄のことは一言も言わなかった。


1306現在。
毎日の出来事や感想をただひたすらに書き連ねているが、書くということは一体どういう衝動にあるのだろうか。それも毎日のことであり、忘れるとなんとも気持ち悪い。
言えることは、毎日書いていれば、書くことにためらいは無くなるということだ。勿論慮って書いてはならないことは厳守している。書く前によく推敲して、考えをまとめてから書きなさい、という考えに出くわすことがあるが、それは間違いだと思っている。観念が蒸留され言葉になったときは、それは難解な言葉でしかない。推敲は、まず言葉が文字になってから行うことであり、観念を頭の中で推敲してもそれは説得性のある言葉とはならないのだ。


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