1022現在。
おはようございます。晴れの穏やかな朝でございます。昨日は、荒れた天候の1日でした。すっかり涼しくなって、二日ぶりに寝室で就寝することができました。やはり寝慣れた場所が一番です。
今日の日経新聞の一面記事下の書籍広告欄を見ていて、Aチームメンバーの一員だったO氏が著した、鎌倉街道に関する著書が出ていた。

〈Aチームの思い出〉
学生君達の出社が夕方から夜となったので、私の勤務時間もお昼近くから深夜までと大きく変化した。この期間は約10年近く続いたのではなかろうか。
大掛かりなイベントシステムのアイデアは、Aチームメンバーとのブレストの中で、私の頭の中に啓示のように降ってきた。自分でも会心のアイデアだと思うのは、パソコンキーボードを手弾きする女性バンド(使用するパソコンがパピコンという名称だったのでパピコンバンドと命名された)とパソコンでロボットアームを制御して人形浄瑠璃を演じるパソコン人形浄瑠璃だ。パピコンバンドはその後数年間全国のイベント会場を回る売れっ子となり、パソコン人形浄瑠璃は、新聞雑誌、TV放送にも取り上げられ、ハノーバーメッセにも展示された。
恥を晒すようだが、アイデアが次々に湧くのは、父親がほぼ半生を街の発明家として、次々と発明を思い立ち、結果家庭を困窮させた遺なのかもしれない。私はこんな父親が大嫌いだったのだが、血は大きく受け継いでいたのだろう。
このほか記憶に残るのは、プロ野球のドラフト会議のシステム開発やその運営だろう。都合4年ほど請負ったが、ほぼAチームメンバーの設計開発によるものだ。私と言えば、バックヤードでお守りを握りしめて、TV中継の無事を祈り続ける役割だった。この4年間は、夏以降冬までの間、胃が痛い期間だった。

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