西洞院道を散歩すれば 風情ある町家の景色が懐かしい 子供の頃の千代の町を思い出す。

7時起床。天気晴れ。目覚め快調。よく寝ました。
昨夜施設に着いたのは25時半。梅田の街で方角を見失い、ついに阪急の最終を逃し、JRで京都に向かう。これも最終電車だった。まさに、ホテルは予約しているものの、そこに辿り着けないという事態が起ころうとしていた。あぶないあぶない。
今日はのんびりしながら、東京へ帰ろう。急ぐことはない。


16時現在。帰宅。疲れた。
車中、チンギス・ハーンの一族4を読了。全てを読みきるのにどの位かかったろうか。最後の主たる皇帝はやはりフビライであったが、日本を攻めた元寇についての深い思いは記されてなかった。世界制覇の一環として領域を拡大する一つの進攻であったとしか思えない。
また井上靖さんの風涛にあったように、フビライの朝鮮についての過酷な使役徴税による支配にも余り触れられてなかった。だが、この全4巻を読み終えて、司馬遼太郎さんや井上靖さんなど、多くの作家や文人が蒙古に憧れた気持ちが分かるようになった。
多くのカタカナの人の名前には閉口したが、モンゴルの血筋を引いた人の考え方は、日本人とはまたちょっと異なる部分があるんだな。西安長安)の頃に、中国には世界の多くの人々が住み暮らし、それなりの名誉や地位を獲得していたという、あの中国人の大らかさというか、柔軟な受け入れは、モンゴルにおいても同じで、西域の人々を色目人として区別はしていたが、政治にも商事にも重用していた事は感心する。


Nさんこんにちは。アジアフォーカス福岡映画祭ですか。映画三昧、いいですね。わたしも今日からギャオ三昧と参りましょう。


19時40分現在。夕食終了。モツ煮だ。モツを食べるのは久しぶりだ。博多の名物料理でモツ鍋があるが、博多に過ごしていた子供の頃にモツ鍋なんてなかった気がする。
さて、夕方途中まで見ていたギャオの”アイランド”を見終わった。面白い映画だった。なんだか自分の構想しているシナリオに少し似た部分があるが、映像化するとこんな風になるんだと感心した。
契約し培養されたクローン人間を、自分の臓器提供生物として地下に育て、顧客が病気になる都度次々と臓器を採取し移植して寿命を延ばしていく。臓器を採取されるクローン生物は閉ざされた世界で育てられており、子供のようではあるが思考もあり知識もある。彼らを死の世界に導くことを、”アイランド”という理想郷で生活できるのだという、夢の目標に思わせて彼らを次々と、死の世界へ落とし入れる。
この奇想天外な発想は、なかなかのものだし、そのリアル間を充分に伝えきっていると感じる。こんな映画がギャオで見れるなんて素晴らしいことだ。