すき焼で 思い出すのは 懐かしき故郷での食卓と ラジオから聞こえていた坂本九チャン。

6時起床。天気は晴れ。目覚め快調なれど、空調効き過ぎで喉痛し。
昨日は、一次会は大盛り上がりであったが、一人の泥酔者に手を取られ、結局弟分が送っていくことになり、大いに気の毒。もっと適切な人はいたと思うのだが。

一方、我々は、近くのお好焼き屋に場所を移し、2次会を催す。しかし、自分は京都に帰る終電の時間が迫り、24時近くで散会。だが終了間際に議論が始まり白熱。このバトルは次回の決着を待つが、結局のところちょっとした気持ちの行き違いが生んだこと。1人が大人になって大きな気持ちで見れば済むことなのだが、中々執着というものはそうは行かないようだ。この執着にとらわれている限り、次の壁は乗り越えられないと思っている。
人は因縁や出会いの糸で結ばれている。また心の動きは様々にある。思いも様々にある。その心を紡ぐ糸を大事にするか、大事にしないかはその人次第だが、切れた糸は容易には紡げない。


15時半現在。帰宅。
京都は天気は良かったが、風の冷たかったこと。念願の暖かい靴下を錦市場で調達して、そのまま京都駅まで地下鉄で行き、のぞみの人となる。
お参りに向かう気力は余り湧かなかった。しかし、ゆっくりとお風呂に入り、11時近くにホテルをでたんだ。

本日の車中読書は、町田康さんを読了。写真のページには際どいものもあり、隣の席に見えないように飛ばして読んだ。内容は、いつものように一部場面転換について行けず、混乱もあった。だが迫力は充分に通じた。


19時20分現在。夕食終了。
数十年ぶりの我家でのすき焼。美味かった。我家ではこれまで、自分が肉を甘辛く煮たのが得意でないためにすき焼をほとんどしたことがない。最近は、外ですき焼弁当や、すき焼を食べる機会はまれにあるので、拒否感はなくなっていた。
義母も来ているので、賑わいの中で美味しくすき焼を食べることが出来た。
本日は、遠出から帰ってから夕方まで寝てしまった。やはり疲れていたんだろう。
明日からも早起きが始まるので、今日は早々に寝ることにしよう。