病院のTVで見たミッキーカーティス 70歳とは思えないほど若い姿 これぞロックンローラーなり。

6時起床。天気は曇り。目覚め快調。
本日は、千葉大泌尿器定期検診のため、休暇を貰っている。家での雑事も溜まっているために、この際、これらを処理しておきたい。


19時現在。
本日は、ほぼ一日中千葉大となってしまった。そもそも予約時間を30分間違えて遅れていったため、13時予約の診察が14時となってしまい、会計が終わって千葉駅に着いたのが15時過ぎとなってしまった。
行きは四街道まで送ってもらったが、帰りは電車でグルーッと大回りになり、自宅に着いたら17時。
それから先週土曜日の会議議事録をまとめ、漸く今FAXで送り込んだという次第。
明日からはまた、随分と慌しい週となる。
今晩は、確定申告の資料も作っておかねば、今週末出張してしまうために間に合わないことになる。この手の資料作成は苦手で面倒で、嫌だなー。
次回の千葉大は、6月となるが、今度は造影剤のCTとなるとのことで、これは辛い。普通のCTでは分かりにくいところまで判別できるので、手術後数年(自分の場合は3年経った)したら撮った方がよいとのこと。
いつものように、何が起こっても・・・という承諾書の提出を求められた。


本日の読書。”沢木耕太郎”さんの”彼らの流儀”を読了。久し振りに沢木耕太郎さんを読んだ。ノンフィクションというより短編のエッセイといった方がよいのだろうか。
やはり沢木耕太郎さんは、書くという流儀というか手法にとても拘りがあり、またいつも自分が模索する表現というものと対面している人だ。
今回の”彼らの流儀”にはその思いをいっそう強くした。解説にも書いてあったが、よくもこの短編の中に、人の描写を描写としてではなく、さらに自分との対比の中に織り交ぜられるものだと感動してしまった。
暖かく人の心の中に入り込み、その動きを捉え、さらに沢木さんの感受性も織り込んで纏め上げている。非常に心地よく、また克明でない表現ではあっても、対象者の心の動きが手に取るように伝わってきた。
このような独特の方法をどの様に見出したのだろうか。知りたいところだ。