ゴロゴロと 過ごす窓に 青空が 流れる雲が 秋の涼しさ。

8時起床。天気は曇りで、空は暗い。やや涼しい。
目覚めは快調だが、昨夜の寝苦しかったこと。
本日の予定は、午前中に一仕事をして、キーマンにFAXを送り込もうと思っている。
その後は、昨日が一歩も外に出なかったので、文芸春秋を買いに本屋に行こうと思っている。煙草も、ほぼ切れている。


13時半現在。
いよいよ仕事を始める。午前中は怠惰に過ごしてしまった。


20時20分現在。
午後、仕事をするために会社のPCを立ち上げるが、しばらく使ってなかったので更新に時間をとられてしまう。
また、その間自分のPCで必要なファイルを開くが、オフィスのバージョンが異なるため開くことができないファイルがあり、結局会社PCが更新終了まで待機となる。
先週末の会議議事録を作るために、会議の模様を思い出す、やや遠いことのように記憶が鮮明ではない。
一応、2時間程度で仕事が終了し、近くの煙草やさんまで散歩。しかし、商店街は全てお盆休みとなっているため、もっと先の商店街まで行き調達する。
連れ合いに頼まれた、薄切り肉が見当たらず、普通の切り落としを買ってくるが目的に適わないとイエローカード


明日は、63歳の誕生日となる。
60歳を過ぎてからの時間が経つことが非常に早くてビックリしている。今日も山城新伍さんが70歳で亡くなっているが、70歳といえば自分ももうすぐではないか。
いつまでも、目的に向かわず日々に流されるばかりではなく(それはそれで充実もしており喜びも多いにあるのだが)、改めて初心に帰り、自己の目的を全うせねばならない。と強く思う。
明日も、午前中に一仕事(相棒の宿題)をして、午後からは今日もまた果たせなかった”終の棲家”を読むことにしたい。何故か、非常に読んでみたいんだ。
自分にとって”終の棲家”とは、なんだろう。過程であろうか、状態であろうか、結果であろうか。
若いつもりでいてはいても、結局は63歳なんだという現実が、ひたひたと押し寄せてくる。しかし、その感傷に浸っている暇もない、ただひたすらに、全うすることのみ考えて生きていたいと思っている。
死ぬ瞬間までは生きており、生きている限りは、若いのだ。つもりだ。はずだ。