心の内は 心にて伝わらず 言葉にてのみ 細々と伝わる。

6時起床。天気は曇り。目覚め快調なれど体調悪し。少し遅れていくことを決定。
本日の予定は、ネゴシエーションと資料作成。一つの区切りである8月末段階での改革事項の整理が必要だ。9月末で仕上げとなる。


20時現在。
うちに帰ると、はてなからブログの製本化されたものが届いていた。今年の1月1日から6月30日までのものだ。これで、製本の速度が追いついたことになる。特に”詩歌”は印刷されると、また面持ちが違う。

本日、目標としていたネゴは全て終了。人の気持ちの優しさは、まずは、信じることが必要だと実感。ホンワカした、いい気持ちを味わった。
一方では、人の気持ちの欠片も分からない、偏狭な気持ちに接すると、大きな怒りを感じてしまう。自分の気持ちも、そういう意味では偏狭なんだな。
同じ偏狭であっても愛情もしくは愛嬌のある偏狭さは、優しさの裏返しとして受け入れられる。だが、愛情を感じられない偏狭さは、単なる意固地、意地悪としか受止めることができない。
誰かの本だったが、偏狭さとの虚しい攻防は、本当に自分の心を虚しくし、優しい心を憎しみの心に変えてしまう。という言葉に接したことがある。その人の結論は、攻防は程々に留めなさい。というものだった。もっと心を暖かくしてくれる人と接しなさい、同じ時間を共有するなら。というものだった。
その言葉が、強く実感できる。というのも、攻防して悔しさや怒りが残るのは、どうやら自分のほうだけで、相手は痛痒も感じていないからだ。そんなときの惨めさは、なんともいえない。

本日の車中読書は、朝だけで、相変わらず”蒼穹の昴”だ。明日にでも残り3巻を買っておこう。お誕生日祝いで貰ったクオカードで。
帰りの電車は、まったく座ることが出来ず本は読めなかったものの、創作のプロットを思いついた。大事にしてみよう。

明日の予定は、特に際立ったものはなく、資料作りが一番かな。