凛と咲く 秋明菊に胸熱く 義父に詫び 我が不明。

7時起床。霞がかかっているようだが空は明るい。目覚めは快調なれど、昨夜は24時と3時に目が覚めてしまった。24時に目が覚めて、散文を書き始めてしまったので、充分な睡眠時間とはいえないだろう。目覚める都度、寝汗をかいている。余りいいことではない。

いま、地下のレストランで豊かな朝食をとり、のんびりと過ごしている、昨日も感じたように久し振りの”自由”な開放された気持ちになっている。清清しいと言うのだろうか。
今日の予定は、この気持ちのままに、真っ直ぐ家に帰ろうと思っている。
車窓に流れる秋の景色に目と気持ちを洗いながら。


10時半現在。そして旅の身支度。
さあ、ホテルの部屋での寛ぎはおしまいだ。ボチボチ帰り支度をしよう。
車中の本は数冊あるし、何の不足もない。気持ちも万全。
では。


17時15分現在。そして我家。
大阪、名古屋、新横浜と天気は晴れであったが、東京についてみると小雨模様。
のぞみは、結構込んでいて、博多発に乗ったせいもあるだろうが、3人掛けA席に窮屈に座ってきた。隣は、もう90歳に近いだろうなお爺さんが、それも頑固そうな、かくしゃくとして先客だった。カップ酒とお握りでお昼を過ごしていた。
のぞみ車中の読書は、漸く”伊坂幸太郎”さんが終わり、再び”浅田次郎”さんに戻り”地下鉄に乗って”を読み始める。前回のエッセーで人となりが分かったものの、この作品でも人物と作品のギャップが凄くて、浅田次郎さんの才能の豊かさを感じている。


我が家に着いて、まず目に入ったのが、義父が好きだった秋明菊が咲き誇っている。夕暮れに白い花が群生(それほどでもないが)している景色は素敵で、義父も喜ぶことであったろう。この庭の様子を見ることもなく、亡くなってしまった。
特に、最期のほうでは、前社長であった義父と新社長との確執が起こり、その2人の間に入った自分が会社の立場に立たざるを得ず、義父からの怒りをかってしまって以来、家に上ってくれることも無くなってしまった。自分が情けなく、今も無念に思っている。だからこそ今も、お墓参りに行き詫び続けている。