目に見ゆるは 我が身体の 風化する様。

4時半起床。天気は曇り。深夜に雨が振った様で庭が濡れている。目覚め快調。背中はまだ痛し。
本日の予定は、新年度に於ける定常業務。


21時現在。帰宅。
きょうは、一日中雨がしとしと降っていた。
慌しさはさほどなく、予算の見直しや、来客、Webでの展示会映像のアップなど、着々とこなしていった。
咳は止まらず、咳をすると痛い背中がさらに痛い。花粉も酷くて、クシャミが何度も出る。体調はかような状況で、決していいとはいえない。いや、悪い。
車中読書は、部厚な”永遠のゼロ”であり、半ばに差し掛かった。内容は、直球勝負で特攻隊の話だ。義父が13期の学徒動員による海軍飛行士官であったから、余計に複雑な気持ちである。
自分は、自ら右翼であることを自認しているが、永遠のゼロにあるような、それこそ特攻精神を美化し押し付ける軍隊のあり方、ひいては国家のあり方には、大きな疑問がある。
本の中に出てくるように、生還できる可能性を秘めているからこそ命を掛けることができる戦い方と、生還許さずで体当たりをするというような戦い方には、大きな違いがある。
余り多くを語りたくはないが、心底気持ちが揺られている。人間の生きる道とはどの様にあるものかについて。
だからこそ、軽々に国体や皇国について議論はしたくない。そのまえに人間というものは、という議論があってしかるべしだし、あらゆる気持ちが同時に混在し、そして時々刻々と感情に揺れ動くのが人間であることを、どう解決するのか問いたい。自分が思うに、恐らく結論などはない、正しい道などはない、のだろう。


明日は、千葉大代謝内科の検診だ。CTは5月になるので、それまでの間に背中の痛みが治まらなければ、一度飛び込みで行かねばならないだろうな。
考えれば、もう4月、そしてひょっとしてすぐにGW。
「あぁ、仕事の解決は捗々しくなく、時と齢を重ね、目に見ゆるは我が身体の風化する様。」