仕事に勢いをつけるために 飲む ありだと思います。

おはようございます。
5時起床。天気は曇り。暗い空で寒は強い。目覚めは眠し。4時に起きるつもりだったんだが。
昨日の夜の寒さに毛糸の帽子を探したがない。何処に置いたんだろう。いつもカバンの中に入れているんだが。この前のマフラーと言い帽子といい、いかんな。天頂が寒い。首が寒い。
本日の予定は、午前中千葉大の検診。午後から出社。そうして怒涛のような展示会表現物の確定作業。ナレ原は今晩。
思い出したが、この土日は、Macでのプレゼン映像も創らなければならないんだった。キーノートを1年ぶりに使うことになる。年に一度の活用では、ほとんどの基本操作を忘れているので立ち上がりに時間がかかるんだ。展示会のプレゼンには、どうしてもパワーポイントは使いたくないんだ。
さあ、もう少ししたら仕事にかかろう。


9時現在。一休み。
”戦略は直感に従う”を読了。いろいろなことを考えさせられての読了だ。訳者あとがきまでも示唆に富んでいる。
断片の感想でしかないが、”強く目標を持って、計画を立てて突き進むことは、必ずしも正解ではない”ということを強く感じている。自分でも言葉に出して言っていた、”努力すれば必ず報われる、必ず達成される”ということではない。
もちろん報われるにこしたことはない。
努力すれば、少なくとも心の満足を貶めることはないだろう、という解釈をする程度でよいのだ。
努力しても、為し得なかった時に、失望、挫折することは大意に反しているということでもある。
環境は刻々と変化する。その変化に対応しながら切り抜けていく努力をし、努力の中から生み出された信ずべき直感と、その直感を裏打ちする経験集合(ノウハウ:集合知)を築き上げることこそ重要であると、この本は説いている。
切り抜けると書けば、困難からの脱出というように受け止められそうだが、そればかりではない、未知の課題への挑戦もそうである。
発明は、目標や計画の中から生まれるのではない。と考えれば分かりやすいかもしれないな。集合知の葛藤(適切な表現ではない)の中から生まれる閃きが発明を生むものだろう。
人は、人生の大望や強い目標・計画を失った時、挫折してしまいがちだ。それは若い時ほど言えることかもしれない。
しかし、この本”戦略は直感に従う”では、夢や情熱を持ち、その夢と情熱と”弛まざる努力による集合知”を武器として訪れるチャンスや事態に対面していけば、新しい局面が開ける、と言っている。正解などはなく、次の新しい自分があるということかもしれない。
これは自省の言葉でもある。


21時30分現在。帰宅途中。
東京の相棒達と上海で懇親。いよいよクリエイティブの根幹にせまる議論沸騰。作品を持ち寄るのを5月末に決定。
これは楽しみだ。


23時20分現在。帰宅。
きょうは午後から、怒涛の仕事。
神経を尖らせていた先生への対応は来られることなく安堵だが、まつわる又聞き不明情報に翻弄させられやや怒り心頭。真実は直接電話して事なきを得る。まったく。
お迎えは明日になる。


展示会の段取りは、15分区切り仕事に集中し、残るはナレ原のみ。最終明後日の早朝送りとする。明日は寝れないかもしれない。
まあ、それでも段々形をなしていく姿は、仕事冥利に尽きるな。1週間でその成果が露と消えるのも、これも冥利。
ニュースリリースも、事前のものとしては成果を上げたし、あとはナレーターによるパフォーマンスにどれだけ観客の目を引き付けるかだ。


仕事はふんだんに残ってはいたが、18時には切り上げて東京組の懇親に移った。先日の相棒の挑戦話の延長戦が主たるものだが、写真志向の相棒の話も盛り上がり5月末に披露会を行うことに。
疲れてはいるが、仕事とは別のクリエイティブな話は元気づけられる。こんな話は大歓迎だな。


上海では、かなりの久しぶりにオーナー夫妻が来ており、それぞれに挨拶をする。元気な姿に心明るくなった。奥さんの美貌も衰えなし。偶然とはいえ、何かを予感させる。オーナーはすっかり貫禄がついていて、一人の成功者の事例を見た思い。


明日は最終決戦。頑張ろう。週末は遠出となり、そのままリハーサル、本番となだれ込むことになる。
さあ、寝るとするか。
三省堂にて、積読本の調達を数冊。


朝:生姜蜂蜜トースト
昼:おそらく千葉大の天婦羅蕎麦。でそのとおり。
晩:どこかで飲んだくれたい気もするが(検診のあとなので)。で上海で酔いどれ。