今日の一日 読書・絵画・音楽に耽った 善き一日 ありがたいことだ。

おはようございます。
6時起床。よーく寝ました。天気は快晴。
本日の予定は、午前中は呆けて、午後から宿題に取り掛かろう。


0930現在。
午前中散歩に出かけることにした。ひと先ずお風呂に入ろう。
昨日を思い出す。ワンちゃんが我が家に来て最初にしたことは、自分がまだ寝ていたこともあり、階段を2階に駆け上がり我が布団に飛びかかり騒ぎまくること。ひとしきり挨拶をすますと、自ら階段を下りるが途中で怖くなって、キュンキュン泣いている。
自分は戌年でもあることから、猫も好きだが犬は一入好きである。可愛いな。


1210現在。
11時に散歩に出かけて今帰宅。天気はよく、少々暑いくらい。日陰に入るとひんやりと心地よい。
1時間程度のポタポタ散歩なので汗をかくこともなく、運動というには程遠いものか。散歩途中のホームセンターで買い物をし、隣のKFCでお昼と調達して帰ってきた。木々草花は、青々としている。いよいよ夏がやってくる。暑さには強く好きである。
昨日、三省堂で勉強本の調達をしたが一挙に財布が軽くなった。これをストレス買いというのだろうか。年に数回ほどある。
最近実行しているのは、購入した本は、時間はかかっても全て読了することだ。積読はしない。それから勉強本は乱雑な読み方はしない。
西村賢太さんの私小説は、ほぼ読みつくしたが、一番スッと胸に落ちたのはやはり芥川賞受賞作の”苦役列車”だなと思っている。アクも相当に中和されている。何だかこの数週間、喉にとげが刺さったようでいたが、これも卒業である。西村賢太さんの今後の新しい作品には期待している。


1530現在。
お昼からTV番組で”伊藤若冲”の世界を見ている。うつらうつらしながら。不思議な世界ではあるな。
西村賢太”さんの”随筆集 一私小説書きの弁”を読み始めた。この作家、表面的には自己実現できず他虐的な面を強調しているが、実は自虐の最たるものではないだろうか。表現は他者を苛めぬいてこきおろしながらも、その心の裏の自分の真実は恥ずかしくて仕方がない、悲しくて仕方がない、今にも死んでしまいたい、という思いなんだろう。
いつか自分の心の中にある、古い結核の残節が疼くような、小さなころ、あるいは若かりし頃の忌まわしい恥部が夢になって自分を苦しめる様な、読んでいてそんな気持ちにさせるのだ。
要領のいい人は、そんなことは微塵も表に現わさず、恰好よく振舞っているが、実は心の奥底を辿れば誰しも人には言えない犯罪(心の中の)に近い振る舞いや、実際の恥部が隠されている。西村賢太さんは、そんなご都合主義を許せないんだろうし、他人をどうのという表現ではなく、自分の心の汚さや卑しさを他人に向けて描くことで、何かを伝えているのだろう。


1930現在。
旧友とのメールでジャズ交流をしている。最近、専らエスペランサ・スポルディング(ベーシストでボーカリスト)の話題だ。素晴らしい感覚のプレイヤーで、ボディプレイも含めて気に入っている。つまり音楽はDVDありきなんだなぁ。演奏の表情も含めて音楽だということが実感だ。


2000現在。
今日も一日が暮れてしまった。
明日からのために早く寝よう。
本日からのじっくりと読む勉強本は、”マークジョンソン”さんの”ホワイトスペース戦略 ビジネスモデルの<空白>をねらえ”だ。まだ勉強本の”フェイスブック 天才の野望”がもうじき終了するので、暫くは並行しながらとなる。