面影橋から思案橋へと巡る先は夢の中。

おはようございます。
本日は、会社の健診。神田まで出かけて行きますが、お昼過ぎの終了後は自宅に戻ってきます。何しろ下剤を飲むもので落ち着きません。土日仕事の代休ということにでも。
けれど結局は、時間がないので自宅での仕事になりますが。


1020現在。検診終了。
診療所に早く着き過ぎて、二番手。だから、検査も早い早い。あっという間に終わってしまった。
やはりソナーの検査が一番長いね。ゴリゴリとやられて、少々痛し。この診療所で病巣を発見されたので、念が入っているのだと思う。


1645現在。下剤と戦い中。
ずっとお腹がゴロゴロ。下剤が効いている。
お昼過ぎまで何の兆候もなく、ひょっとすると飲み忘れたか、と不安に襲われたが、飲んでいたようだ。
私の場合、病院にいくと、いや来ると、記憶が鮮明でなくなることが多い。バリウムを終えて、下剤を渡されて洗面所で注意書きを見ていたことまでは鮮明に覚えている。水もたっぷり飲んだことも。しかし肝心な薬を飲んだ記憶がない。困ったものだ。
入院している時に、食後の薬を二度飲んだことがある。それ以来、薬の飲み方に自分なりの工夫を凝らしている。
流石に、インシュリンを打つことについては、その前に血糖値を図ることになり、使用したチップの残骸を確認できるから、間違えたことはないし、間違えるととんでもないことになる恐怖を持っていた。


さて、今日の行き帰りの車中読書は、三浦しをんさんの、神去なあなあ日常、を読了した。三浦しをんさんの作品は、以前、まほろ駅前多田便利軒、を読んでその著者の優しさに感動したことを覚えている。
今回の神去なあなあ日常も、神の住む村での林業体験日記という背景の中に、自然と暮らす村人の閉鎖的、家族的生活に溶け込んで行く様子が、優しく描かれている。
ただ、ググッと泣かされるようなことはなかった。最近は、泣かされることばかりなので、このような微笑ましい本も一つの清涼感と言えよう。


明日からの車中読書は、村上春樹さんの、夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです、と言うもの。インタビュー集で分厚なものだ。


1900現在。
少しお腹も落ち着いてきたかな。TV番組で東福寺を見た。一度訪れたことがあり、懐かしい。禅宗臨済宗のしきたりはなかなか厳しいものがある。仏の教えは、自らの心の中にある。その心を突き詰める。広大な境内の中に豊かな緑と研鑽の場がある。
紅葉が美しいという。


この週末は出張の可能性が強い。
来週の決勝戦に向けての準備だ。
その翌週は、一つの懇親会を楽しみにしている。