今日は選挙だ。高飛車な心地よい意見に惑わされてはならない、優しく夢だけを語る意見は論外。大事なのは経済ではなく命であり、天秤に掛け、また帳合を取ることではない。何より命であり、3.11に何が起こったか。その恐怖を忘れてはならない。今も流浪している人々がいることを。立ち帰れない地域があることを。

おはようございます。
からりと晴れていい天気です。昨日の寒さも何処へやら。
きょうは、国政選挙の日ですね。お昼近くに散歩しながら投票へと参ります。
このブログでも言ったことがあると思いますが、原発には反対です。何故、福島であのようなことが起こったのかの反省もなく、未だに原発を再稼働させようというのでしょう。
あの事故の恐怖はまだ続いています。いったん事があれば地域が全滅してしまう恐怖をもう忘れてしまったのでしょうか。今もなお、故郷を離れ暮らしている人が大勢いるのです。
ましてや地域の経済なんて破壊され尽くしました。
それを、同じ経済が停滞するからと言って、再稼働を主張する意味がわかりません。人として恥ずべきことではありませんか。
いま、断層の可能性があることを、地域経済を論点として、疑わしきは罰せずの主張をする人もいますが、インフラは疑わしきは罰することでなければなりません。
たかだか電気とまでは言いません。しかし、原発は、たかだか原子力を燃料としてお湯を沸かして、蒸気タービンを回して電気を作るだけの話です。蒸気機関車の延長線上にあるだけの話です。
その燃料の保持のために、膨大な保安や危険防止の費用がかかるのです。人の命との駆け引きをするには、例は悪いですが余りに陳腐な原理です。
核融合で、小さな箱の中から、巨大な電力を直接生み出す原理なら、それ一個で地中深くに埋めておけば、日本全国の電力を賄えるようなものなら、まだ許せもしましょうが、蒸気タービンを回すために命を託す気にはなりません。
他の古い発電方法についても、皆蒸気タービンを回すに他なりませんが、例えば水力発電地熱発電などがそうです、これらの発電で、異常が起こったとしても何が副作用で発生するのでしょうか。
あとあとまで住めなくなるような事態にはなりません。
私たちに大事なことを忘れてはいませんか。
それは、命です。脈々とつなげて行く命です。放射能の影響を軽く見る人がいますが、とんでもないことです。
人間は、まだ廃炉する技術で確たるものを持っていません。何十年もかかって、ただ地中に埋めるだけ。それは技術とは言えません。原発とは高々そんなものなのです。守ろうと思っても守りきれないものなのです。3.11以降のあの原発に立ち入れない恐怖の映像をもう忘れたのでしょうか。
ちょうどいい機会ではありませんか。世界中にある原発も、いずれは廃炉にする時がきます。その技術を日本が先鞭を切って獲得しませんか。
地中に埋めて漏れないようにする、そんな技術に頼ってはいけません。そんな技術は愚かな技術と言えるものです。隔離すれば何もなかった!ことになる。許せますか?


私たちは、経済と命を天秤にかけようとしています。それでいいのでしょうか。
経済のすべては、原発があれば立ち直れるわけではありません。その他の要素も強くありますが、論点をすり替えてはなりません。
私たちには、英智があるではありませんか。


1415現在。
投票を済ませてきました。風も暖かく、街を散歩するには絶好の日和です。
どのような政権になろうとも、大きな経験を、被害を、そして恐怖を忘れない心の政治を行って欲しいものです。政権が取れたからと言って、国民はすべてを委ねているわけではありません。国民のしもべであることを思ってください。
威丈高にならないことです。裏切らないことです。


2005現在。
近くのイタリヤ料理店で夕飯を食べてきた。人気のお店で予約がないと入れない。団地の中で、長続きするお店があるというのは、自慢すべきことだろう。
さて既に、選挙結果は自民圧勝という出口調査結果が出ている。暴君にならないように、これまでの3年間の戒めを心にとどめてくださいよ。