飛行機雲網戸の先のマトリクス

こんな時間ですが、おはようございます。
快晴の千葉です。
朝5時過ぎから目は覚めていたんですが、テレビを見ていて二度寝すればこんな時間となりました。寝過ぎてボーッとしています。
今日こそは仕事に追われる日となりましょう。少しだけ気分転換に外に出るかもしれませんが。
来週は水曜日から大阪となります。そこですべてが解決でき、仕上がるといいのですが。一応録音の機材も用意して行くつもりです。ホテルの部屋は、事務所より自宅より遥かにナレーションの吹き込みには向いています。


昨日も仕事の途中でふと考えたこと。
仕事には恵まれていた人生だったな、ということ。
そして折々にであった大切な人、支えてくれた人にも恵まれていたな、ということを。
もうこれ以上はないだろうといういま、大きな想いも生まれている。しかし、それは心の内に留め置くがよかろう。例えそれが目標であれ想いであるとしても。
目標であれば、静かに静かにチャレンジすればよく、チャンスがくればそれで良し。来なければ静かに死ぬまでチャレンジを続ければ良いだけのこと。途中、気持ちが燃え尽きることはない。
深い想いは、そのまま深く沈めておけば良い。
そのためには、日頃より、みっともなく、汚く朽ち果てる姿を見せないように、毅然として生きて行こう。


1505現在。まだ仕事始まらず。
電話がリンとも、faxが唸りもしない。きっと苦悩されていることだろう。
いつ届いてもいいように、明朝会議する資料だということで深夜でも構わない。寝ずにこなすことはもうとう覚悟している。


さて、最近飛行機雲が関心の的だ。いや的というほどでもないかな。ふと見上げた時に、偶然一直線の飛行機雲に出会う時がある。じっと行く末を見つめてしまう。一直線に見えるだろうが、視点をずらせば弧を描いているのだろうか。
青い空に突き抜ける飛行機雲は、大きな空を分割しているようでもあり、一という初めの言葉を描いているようでもある。
悠々としたこの雲に、私たちは様々な心で見つめている。この一筋の線は、宇宙に描かれた大きなマトリクス迷路の一辺の僅かな線にすぎないのかも。あるいは、曼荼羅の枠なのかも。
きょうは飛行機が真上を何便も飛んでいくが、飛行機雲は現れない。


1757現在。
まだ仕事はこない。
じっくりと待つことにする。
煙草が切れかかっているので、少ししたら買い出しに行こう。
今度の日曜日は姉の三回忌の法事がある。二年前の総会直前に亡くなった。綱渡りだったので強く覚えている。
もうそんな季節なんだね。
なんてことを考えながら、靴磨きと靴紐の取り換えをしていたんだ。
のどかな日中でありました。