赤い実の弾丸に撃ち抜かれ 心にぽっかり穴が空き アイタイと歌う。

おはようございます。
今日も快晴ですね。
そよぐ風が心地よい。
よく寝たあとの朝がパステル画のように秋模様です。
今日は家中の本探しです。いたるところに本を置いているので、おまけに分野などを整理する性格ではないので、いざこういう時は大騒動なんですな。
古い当時、一生懸命文章書き、ビジネス文書ですが、を勉強していた時に、ありとあらゆる分野の本を調達した記憶があります。
勿論、結構大量にあったビジネス文書の書き方や、理工系の論文の書き方、小説の書き方、漫画の描き方、マニュアルの作り方等でした。
その当時の本屋さんというのもおおらかなもので、何々に関するもの持ってきてというと、会社まで届けてくれて、そこで選別して購入することができるという、良きサービスがありました。見計らい、って言ってましたか。
特定の作家の名前を言ってその文庫全部なんて買い方もしました。良きお客でもあったんでしょうが、良き本屋さんでもありました。
時には、自分の傾向を知って、これが出ましたなんて、今のアマゾンの先触れサービスもありましたっけ。
さて今日はのんびりと探し物、こんな時には昔の本にであって、探し物は何処へやら読み耽ってしまうことしばしばです。


昨日、iTunesで購入していた、スガシカオさんの、赤い実、を聴いている。
激しいね。激し過ぎて、受け止める前に弾き飛ばされてしまう。歌詞については、アイタイと同様に本能的煩悩的官能的直接的なもので、抵抗はないんだが、自分にとってはアイタイの方がジリジリと犯されてしまうな。きっとリズムなんだろうね。
アイタイの方がやや官能的で年寄りを惑わす要素に溢れているのかもしれない。赤い実は、弾丸で撃ち抜かれたようである。
改めて、スガシカオさんを聴いている。


2050現在。
昨日、人を動かす新たな3原則、を読了した。キーマンへ直行便となる。新しいことへのヒントになるといいなと思って。
今日からは、イシューからはじめよ、というもの。はじめに、という部分から面白い。かなり異色な著者だ。何が異色かといえば、悩むことには意味がない、悩むなら考えよ、煮詰まったら、休め、という主張だ。
自分もこの考えに、仕事上のすべてが隠されていると思っている。私の持論は、一つの仕事は15分以上かけるなというもの。勿論、もっと時間がかかる仕事が殆どだが、キュッと集中してまた別のことをこなして頭を切り替えて新たな気持ちで臨む、ことだと思っている。それに私はB型の典型だから、悩むことはほとんどない。数年間に一度眠れない夜を過ごす位かな。多少のことはあっても、翌朝には吹っ切れている。悩むことより解決する方に向う気性なんだろう。勿論、解決できないことも仕事をしていれば多い。毎日のように発生する。それは飲み込むか受け入れるしかない。そこからどうするかを考えないと、仕事の方向を誤ってしまう。