忙しさの合間のふとした虚脱感 目をつむれば旅の空 深呼吸すれば潮の香り。

おはようございます。
目覚めて見ればビッショリと寝汗をかいてました。
大阪は曇りでしょうか。
空は明るいのですが白い雲に覆われています。
今日はのんびりと帰ることにいたします。
今回は感じる事が多かったな。これから胸に刻んで。


来週の土曜日には、元祖Aチームメンバーの家族と会う。これでその子供達全員と会うことになる。良きアドバイスができればいいが。


先週も見たかな、土曜日のニャンコ、可愛いよね。戌年なのでわんちゃんは好きなんだが、ニャンコも好きだね。小さな頃はいつも猫と暮らしていた。
さあ、そろそろ旅支度。


0909現在。
書くことが上手くなりたい、少なくとも苦でなくなりたい、と思うなら、少しでも僅かでもいいから毎日何かを読みましょう。
何故なら、読んで感動できなければ、自分の文章も評価できないからです。
まずはここから初めることです。
次は、毎日僅かでも何かを書くことです。手紙でも、Twitterでも日記でも。書くことは、そして残ることは、見返すことは自分の力になります。
場合によっては、見たくもないほど感情混じりの酷い文かもしれません。それでも対面し書き直しを続ければ、少しずつでも変化は起こって来ます。でもね、まず感情を書き記すことが第一歩なんだよね。感情のないところには何も起こらないんだから。
頭に描くかっこいい文への思いが、だんだん形をなして来ます。


1148現在。のぞみ車中。
たまには肉食系の駅弁にするかと思い、ローストビーフ弁当を新大阪で調達した。
美味そうに見えたからね。
だがしかし、これが大きな大間違いの元だった。
パックされているソースの切り口が見当たらないので、楊枝で袋に穴を開け搾り出そうとした。嫌な予感もしたんだ。
ピューっとソースが飛び、ワイシャツ一面に大きなシミを作ってしまった。これでは外歩きもできないので、また背広を来ても隠れる部分でもないので、急ぎ洗面所にて部分洗濯をした次第。
ソースのないローストビーフは、乾いてもおり、美味くはなかった。気持ちのせいもあるだろうが。
時折思うことは、切り口のない、あるいは切り口の見えない袋など、最近往生することがあるんだが、その祭たるものであったな。
特に年を取り目が見えにくく、切り口のない袋の、また頑丈なこと夥しいからね。
ソースの香りが我が香りとなっている。


今日は、朝から少し切ない思いに覆われている。悲しいわけでもなく。寂しい思いに近いのかな。
頭の中を、醒めながら見る夢が流れ、いま読んでいる、ナモナキラクエン、の明るくも切ない物語がイメージとなって。
母の命日は4日だが、そのせいもあるのかな。
ナモナキラクエンに重なるが、自分の兄妹は母親が違う。それでもなんとか自分自分の人生を生きて来た。助けもしてもらったし、確執もあった。母も苦労したろう。若くして亡くなったが、良き人生だったんだろうか。
私には、良き人生を与えてくれた。恩返しがままならなかったことだけが悔やまれるが。



1300現在。
のぞみ車中。もうじき新横浜だ。
ちょうどナモナキラクエンを読了した。
いい本だった。ジンときてしまった。
小路さんは本当に上手いな。次の本を探してみよう。
内容を語ることはしないが、家、生きること、家族、愛する人々、人との出会い、こんなに気持ちを捉えることができる、表現できる人には憧れる。
ストーリーとは全く関係がないことだが、泣くということについて考えて見た。いま泣きたい気持ちだから。それも大声を出して。


愛する人とは、その人が泣いている時に、ともあれ一緒になくことができる人のことかな。全てを受け止めることができる人。事情なんかどうでもいい。
いまの自分には、無条件に受け入れる人がいる。幸せなことだね。


満席ののぞみの中を、孤独な心は、思い切り泣きたい、思い切り笑いたい、思い切り叫びたい、怒ることは何もなく。