プロデューサーの役割

仕事をする時に、特にクリエーティブな仕事をする時に、重要なこととは何か。それはプロデューサーの役割だ。プロジェクトリーダーといってもいいだろう。
広告内容を考える時、展示会の内容を考える時、Webのデザインを考える時、最も重要なことはそれを纏め上げるということだ。
1人だけでそれをこなしている時には、その1人がアイデア出しをすることから纏め上げることまで全てを行い、収斂させるわけだから、自分がどの様に対処していかなければならないかは自己苦悩と自己責任で結末をつけることになるから、それはそれでいい。
問題は、外部のクリエーターを使って、仕事をしていく時だ。そのリーダーの素養が大きく問われることになる。リーダーがクリエーターを自認しているときは、多くの場合そのチームは共感を得られない。リーダーが無能な時は、さらに悲惨な結果となり、参加しているクリエーターは2度と協力したがらない。
どういうことか。クリエーターの心を大きく傷つけていることに、リーダーやリーダーの下の参加者が気づかないからだ。単なる発注者と受注者の関係に陥り、単なるデザイナーとして図面書きや文章屋としか思わなくなってしまうからだ。彼らは作家なんだということを忘れてしまっている。いや、最初から念頭にないという不幸の始まりかもしれない
必要なことは、アイデアを出し合いながら、最大にクリエーターの意見を尊重しながら、肝心なことは、リーダーが自ら収束点に持ち込むことだ。つまりそのような調整役の機能をリーダーが発揮せずに、発注側が我が物顔に発散するアイデアだけを出して、”また考えてきてよ”というスタイルはクリエーターの心をとてつもなく破壊する。ここで言う調整も、単にバランスをとるとか公平にとかという意味ではない。主導的にということである。
平気で、提案した作品に”赤”を入れてしまう。書き直してしまう。名のあるクリエーターのコピーの”てにをは”を平気で書き直してしまう。
社の若手を育てるということに名を借りて、平気でプロと卒業間もないアマチュアの意見を戦わせてしまう。さらには、本来仕切るべきリーダーが発散したアイデアを、自ら出して混乱させてしまう。
リエーターが出した、コンセプトや提案すべき思いに至った思いなどは、微塵も尊重せずリーダーや若手の”好き嫌い”の一言で踏みにじってしまう。
こんな情況に至らないように、プロデューサーやプロジェクトリーダーの役割を与えられた担当は、自分がクリエーターであろうとも、参加しているプロのクリエーターの意見を最大に尊重しながら収束点に持ち込む最大の自主調整をしなければならない。強引にでも、である。その強引さが嫌われてもである。
勿論妥協するわけではない。調整の結果出来上がった作品が思わしくなければ、プロデューサーがその責任を全て背負うのだ。プロデューサーにも感性が問われるのだ。
リエーターは、そんなプロデューサーにはついていくものだ。また一緒に仕事をしたいと思うものだ。そうしてプロデューサーもまた成長していくものだ。
自分の夢は、そんなプロデューサーになることだ。そうしてこのプロデューサーの役割は、クリエーターを率いることばかりに通じるものではなく、普通のビジネスにも言えることだろうと考えている。
リエーターのプライドも気概も破壊するリーダーの下に、誰も参加はしたがらないことは”自明”である。