この胸に深々と刺さる矢を抜け ず。

7時起床。天気は昨日と打って変わりどんよりとした曇り。目覚めは快調なれどやや眠し。地震にて起き上がる。八丈島震度5弱との事。当地でも3程度には揺れたな。
小さな地震が度々起きて、エネルギーが少しづつ解放されていくぶんにはいいと思うのだが、何かひたひたと大きな地震が迫るようで非常に気持ちが悪い。
先日の地震では、1000冊の本に押しつぶされて死んだ人がでたが、当方には5倍ほどの書籍があるので、地震の際は、場所を選んでしまう。


22時半現在。
今日の一日、ほぼ一日、白石一文さんの”この胸に深々と刺さる矢を抜け”を読み、今読了した。上下2巻にわたる、ハードカバーだったが、これまでの白石一文さんのタッチとは大きく変わった書き様で、なかなか難解ではあったが、我が心に深く矢を射られてしまった。
がん患者である主人公には、がん宣告された後、時折、啓示のようなものが降りるようになり、また、生と死について深く深く自己を問いただすようになる。これにあわせて、勤める出版社の幹部として抗争に巻き込まれる筋立てであるが、これが小説なのか、著者にまつわるノンフィクションなのか迷いながらグイグイと引き込まれてしまった。
たまさか自分も、がん患者ということもあり、さらには、自分には啓示のようなものはないが、最近新らしい執着が生まれ始めていることから、自分と対面するように読み進めてきた。
著者は、文中にて盛んに”世界の格差の拡大は人類の滅亡”に向かっている導きだと言っている。それに対して、主人公の残された人生をどの様に生きていけばいいのか、日常の流れに呑まれている毎日の葛藤との中で模索している姿が描かれている。
自分には、そのような観点での世界観的な思考はほとんどない。
宣告を受けてから、自己の人生のことについてのみ、今のままでいいのか、何か本来すべきことがあるのではないか、という執着と、一方では生と死についての淡白感が生まれてきている。人との付き合いも非常に多くなったし、人の話もよく聞くように(聞きたいと思うように)なった事がその表れだろう。孤高の人になどなりたくもないと思っている。これは寂しがり屋が、前面に出てきただけのことかもしれないが。
著者は書いている。自分は自分を見ることができないのだと。その通りだと思っている。自分は、一人思考だけしていても、自分は見出せないのだろう。相手に映る自分が本当の自分なんて簡単なことは言わないが、人との関わりで心が揺れることが、自分の心を確かめることが出来るのだろう。
結論などはでないが、しばらくはまた”白石一文”さんに囚われる自分の心が、青年時代を思わせてくれる。