告知された時は 既に遅し その衝撃の受止めようは如何程か 我が身の幸運感謝すべし。

7時半起床。天気は晴れ。目覚め快調。よく寝ました。
昨日は、仕事一色の一日でしたが、一段落した21時過ぎから詩歌だけをまとめた”その日暮らし 詩歌集”をまとめてみた。都合33曲になっている。もう少し編集して1ページ1曲に収まるような工夫をしてみたい。出来上がったものを見ると、その時々の想いがよく分かり、なんとも切ないものだ。
本日の予定は、昨日の仕事のほぼ収斂を行うことになり、半日程度で終了できるのではなかろうか。
明日は、会社の定期健診で、今晩21時以降の絶食となる。バリウムを飲んだ後の下剤がとても嫌なんだ。ほぼ一日を、小川町の事務所で過ごすことになる。


12時10分現在。そして収束。
漸く仕事に一段落がついた。最後は修正ミスもあり、バタバタしてしまったが、メールも送り込み今落ち着いたところ。
さて、これから昼食となり、のんびりとするつもりである。


18時20分現在。そして明日へ。
午後からは、抜け殻のようにボーっとしていた。
来週からも、結構慌しいので、丁度いい安らぎではなかろうか。本来なら床屋さんにも行かねばと思っていたのだが、気力がなくなってしまっていた。
TVで、クラスというバンドのリーダー(津久井さん)が、胆管癌で亡くなったというニュースを告げていた。ニュースの中で紹介されていた曲は、聴いたことがあり、素敵なものだった。凄く元気付けられるものだった。一番気になったのは、若くして胆管癌で亡くなったということで、最近、自分の周りにも同じ病気でなくなった人がいる。自分より4,5歳は若かった人だ。
クラスというバンドのCDを今度聴いてみようと思っている。いい歌だったな。
それにしても、短い余命を告知された時の衝撃は、想像を絶する。それを受止めてなお、演奏活動を止めず、命果てる直前まで歌い続けることが出来る人の意思の強さに感動した。今年になって女性の歌手で乳がんで余命を宣告され、やはりギリギリまで歌手活動をしていた人がいたが、ドキュメンタリー番組を見ていて、涙が止まらなかった。
もし自分が、短い余命を宣告されたら、そんなに強く逞しく、残された僅かな時間を生きていけるだろうか。自殺こそしないと思うが、意識は死んでいるも同然となってしまうのではないだろうか。
つくづく我が身の幸運と幸せを思う。相棒が診療所を変え検診科目を増やしてくれた御蔭で、また看護士さんが丁寧に時間をかけて超音波で僅かな反応を発見してくれた御蔭が、早期発見になっている。そののち医師の診断はどこに行っても変わらず、アッサリと癌宣告を受けるだけであった。
宣告されて、早期であるから希望は有ると医師が伝えてくれても、宣告された言葉は重く自分の心を打ち砕いてしまった。これが、余命まで宣告されるほどの進行の酷さであったら、とても想像はできない。その場から直ちに家に帰って、泣き暮れていただろう。弱いものだ。


20時20分現在。そして明日へ2。
明日の健診のために、そろそろ就寝の準備。
もう何もすることはない。水でも飲んで寝るとしよう。
明日からの車中読書は、”浅田次郎”さんの”天切り松 闇がたり”だ。全何巻か不明だが、とりあえず2巻までは買ってきた。