目の霞み 分かってしまえば 笑い話。

おはようございます。
8時半起床。天気は快晴。目覚め快調。よーく寝ました。もう少し寝たいような気分ではありますが。
きょうの仕事の予定は、特になく寛ぎの一日となる。宿題はいくつかあるのだが。


明日からの1カ月はかなり緊張した仕事になるだろう。また、目の造影剤検査の結果によっては新たな苦悩も生まれることになる。
ちょうど6月の総会前の重要な時に肺炎にかかって、どうなる事かのギリギリの苦悩が生まれた時と同じだ。あの時は、最早これまでと進退を決めたこともあった。


今朝は、気持ちも凄く穏やかだ。母への気持ちが吐き出せたことも大きいと思う。本当は、もっとドロドロした内容だったけれど3週間も考えている内に昇華できたのかもしれない。
母が逝く間際に、半身麻痺の震える手でこれまでの介護(毎朝に2時間かけて朝食の補助のために病院に行っていた)について”ありがとう”を書いたメモがある。このメモは遺影の裏にずっと保管しているが、まだ何事もなし得ず、迷いの多い自分には改めて見る勇気がない。そんな気持ちをまとめた詩歌だった。


11時現在。読書。
先ほどから、かなり久しぶりの”町田康”さんの”真実真正日記”を読み始めた。町田康さんの熱狂的ファンでもあるが、最近は文庫が出ていなかった。
この人のややクレイジーな展開や表現は、それでいながら何か本質を突いているような気がしてとても好きなんだ。人にあげられるようなものではない。疑われてしまうかも。町田さんごめんなさい。そんなつもりでは、ややあります。
ついでに隣にあった”町田康”さんの”猫にかまけて”も買ってしまった。猫は、もう50年近くも飼ったことはないが、犬と同様とても好きだ。
我が家には義妹家のワンちゃんが時々レンタルされてくるが、こいつの騒がしいこと、我儘なこと。電話に出たり部屋を出て行こうとすると狂ったように吠える。都度、”電話ですから”とか”トイレですから”等御断りを申し上げなければならない。
我儘は猫ばかりかと思っていたが犬もそうだった。しかし、自分が家に帰ってくると、猛烈ダッシュでまとわりつき、狂ったように愛情を振りまく姿を見るととても可愛い。その時間は約1分程度で、結局飽きてしまってあとはプイと知らん顔。いくら呼んでも知らん顔。憎たらしい奴め。
結局のところ、自分はこの我儘が好きなのかもしれないな。


13時現在。少し雲が出てきましたか。
まだまだいい天気だが、少し日差しが陰り始めました。
午前中はゴロゴロしておりました。小1時間ほどしたら散歩に出かけましょう。ユーカリが丘の公園の紅葉がきれいだという。


18時現在。散歩から戻りました。
ユーカリが丘を散歩して紅葉を見てきました。夕焼けに一層映える茶や深紅の紅葉はとても鮮やかな秋の景色でした。落ち葉をザザッと踏む音も心地よい。
陽が落ちるのは早く、散歩から戻ったいま、街はオレンジ色の街灯に浮かび上がっている。


先日の千葉大の眼科診察の診断の一つに、目の霞みを強く訴えたことについて医師は緑内障や網膜症とは全く関係はなく、霞むのは目が乾燥しているせいではないか。気になるなら、と目薬を出してくれた。つまり霞みが気になって病院に行ったものの、他のことで強い指摘を受けてしまったことになる。医者もよかったじゃないですか悪いものが発見出来てと、微笑んでいた。
いまもなお目は霞むが、このことについては”愛い奴よ”と思うことにしている。しかし、笑っていいものやら迷うところではある。
12月3日が、造影剤による撮影となるが、この検査も承諾書提出の検査で心重い。前回の気管支鏡検査の様に、家族の同席を要求される検査程ではないが。
その日の夜は、勝田台会の日でもあり、検査薬のアレルギーが少ないことを祈っている。


21時現在。自分の仕事中。
先日より”虚影”を中断して”遠くの波の音”を改作している。応募することを考えているからだ。
事実の検証と、時制の調整と、表現の稚拙修正と、物語の不自然さの改修を行っている。結構大変な作業だが、好きなことなので楽しく取り組んでいる。自分に才能や能力があるかは、全く別物として、挑戦してみようと思っている。
一応の目標は今月末と決めている。
この原稿はワード上で横書きで書いているが、一度、原稿用紙指定に変換してみたことがある。このバージョンのワードの機能が、原稿用紙禁則処理をきちんと行っているかを確認するためだったが、”、。”の処理は完璧に行われており感動した。前のバージョンではこうはいかなかった記憶がある。
さあ、もう少し頑張って23時には寝ることにしよう。
明日はまた早いから。