幸せになりたくない人なんていないだろう 幸せってなんだなんて言わないでくれ 必死で歯を食いしばって生きている人がいる前で。

おはようございます。
9時起床。天気は快晴。目覚めも快調。
昨夜の寒かったこと。深々と冷えた夜だったな。
きょうは散歩しなければ。明後日が代謝内科の検診だから。僅かでも数値を下げるために頑張って汗をかいておかねば。
散歩のついでに本屋とCDショップへ。CDをクオカードで買えると有難いのだけれど。


11時50分現在。静かに。
思い立って”Class”のアルバム”十六年と一日”を聴いている。静かな午前だ。”夏の日の1993”だけが聞き覚えのある曲だった。
昨年だったか脾臓癌で亡くなられたときに、テレビで追悼の曲として流していた。懐かしくて買ったアルバムだった。”Song for you”もいい曲だな。
聴きながら大昔の親友の名前をネットで検索してみた。ずっと気になって探している人だった。同姓同名かもしれないが、大阪でダンススタジオを経営している様子。ソーシャルダンスとバレエを教えている。今度電話してみよう。博多ですぐ近所に住んでいて、毎日一緒に通っていた最初の親友だった。自分が博多で転々としたために連絡が取れなくなってしまった。博多に帰った時に訪ねてみたが、彼の家の跡は既に大きなマンションに建て替わっていた。


13時半現在。やや、雲が広がってきて。
ちょっと日が陰ってきた。
珍しく読書している。”乾ルカ”さんの”夏光(なつ ひかり)”というもの。この著者も初めての人。戦時中の疎開の話から始まっている。地元のいじめっ子と”ヌメリを食べたために呪われた子”とのけ者にされている親友との物語。


16時半現在。散歩から帰る。
ちょっと汗ばんでいる。結構ハードに歩いてきた。陽が落ちると、たちまちに冷え込んでくる。手の指先は真っ白だ。
鼻歌を歌いながら坂道を上った。斉藤さんの”ウエディング・ソング”だ。情景を浮かべながら。ジンと来る歌だ。
さあ、明日からはまた慌ただしい日が始まる。週半ばに千葉大と遠出がある。まだ金曜日の議事録も書いていない。戦略会議の議事録は筆が進まない、手が重い。次々に問題を解決していく会議の議事録とは様相やニュアンスが異なるからだ。
きょうのTV番組表を見ると23時から”奥田英朗”さんの”伊良部一郎”医師を主人公にしたドラマが始まるようだ。単なるコメディになっているのなら嫌だな。けど、見てみよう。奥田さんの文庫は全て見させていただいている。好きな作家なんだ。


金曜日のこと。
約束の時間に間があるために、本屋に行こうと会社を出た。
横並びにある喫茶店の前を通ると、馴染みの女主人から声をかけられた。大阪に数泊する時はいつも珈琲を飲んでいるお店。
ちょっと煙草を吸おうかなと誘われるままに立ち寄ることに。
店内には、また新しい絵がかけられている。この女主人が描いている絵だ。この人の絵はとても好きで、いつも赤が基調で鮮やか。東洋の色彩と言ってもいい。けれど題材はいつもヨーロッパ。
感心するのは、絵を描くときにはバックパッカ―のようにリュック一つで世界を巡り、その地に寝泊まりあるいは野宿するんだという。強さを表に出さない人だから驚きである。いつもこの店では30分ほど絵の話ばかり。今回も近々展覧会に出品するという絵の話だった。
お店には130号の絵が数点飾られてある。その数点は写真に収めてもらって自宅に飾っている。写真でも、とても鑑賞に堪える。
今回の新しい絵も、いずれ写真で貰おうと思っている。


猫のミーシャ。
猫の話。とても素敵だ。まるで人間との生活のよう。いつも話しかけてはやり取りをしているのだろう。
人は、自分のありようを言葉でしか表現できないが(とも言い切れる訳ではないが)、その言葉の使い方は才能に委ねられる。
自分は話し言葉は全く苦手で、人を感動させることが出来ないだけに人の話し方については、じっくりとその表現を味合わせてもらっている。猫の話は、格別であろう。もともとが表現については、実に丁寧で人の心を先取りしている。それに加えての表現力だから感心している。長い話ではなく、短い瞬間の言葉に光があると感じている。
一方、”百田尚樹”さんの短編集”輝く夜”の”猫”は、一匹の愛される猫が媒介となって男女を結びつける。
その名前が一方では”ミー”であり、もう一方の元の飼主がつけていた名前が”ミーシャ”。それぞれの幸せが委ねられていたであろう一人(あえて)の猫が、結局は2人の幸せを取り持つ事になる。素敵な物語だ。
この本は、自分を幸せに導く、あるいは忘れかけた幸せを取り戻す本として、大事な永久保存版としている。”永遠のゼロ”と浅田次郎さんの”シェラザード”も同様に私の永久保存版なんだ。
この輝く夜の”ミーシャ”と”金曜日の猫の話”にちなんで、昨日急に詩歌を創った。
実は、淀屋橋から一つ東にある”水晶橋”に小さな猫が寒さに震えていたこともヒントになっている。そうそう、裁判所の庭にもいつも黒い猫がいる。こいつは、いつも通る人を睨みつけ悠々と人を裁いているのだ。