きょう一日が無事に過ごせた 寒くてもいい 無事であれば 被災地を想う。

おはようございます。
8時起床。天気はしとしと降る雨。雨は久しぶりかな。気温は暖かし。目覚め快調。よく寝ました。かなり現実的な夢を見ていましたが、起きた途端にそれが何かを忘れてしまいました。
本日の予定は、まとめごととキーマンへの報告。
明日の遠出は中止し、TV会議にて臨もうと考えている。


10時50分現在。
2カ月ほどかかって毎日数ページずつ読んでいた”上阪徹”さんの”書いて生きていく プロ文章論”を読了。
優しい語り口の中にしっかりとプロのライターとしての心構えが書いてあり、”うんうん、そうだそうだ”と納得しながら読ませてもらった。
読みながら自分のことを振り返っていた。
20歳代後半から、ある日突然に雑誌に連載を始めることになった。これは自分にとって人生を大きく変えることになったが、あの時バットを振る決断をしてよかったと、機会を与えてくれた恩師や上司に深く感謝している。
ある日突然始まり、別の仕事をしながら、毎月締め切りのある原稿を毎回50枚書いて4年間を過ごしたことは大いなる力になった。一日も締め切りに遅れたことはなかった。
工学部を出ているからとはいえ、一番嫌いだったコンピュータについての記事を書くことがどれだけ自分の行く道を変えたことか。
継続は力なりで、4年の蓄積された記事は単行本となり別の日の目を見、話題となり、次はパソコンの活用事例集をつくることになり、全国の著名な人たちがどのようにパソコンを使っているのか、取材してまとめる仕事をまかされた。漫画家、作家、大学の先生、ジャーナリストなど多くの人たちに会ってインタビューをして原稿をまとめた。インタビューの仕方など独学で学んだ。これもやってよかった。今もって自ら話すことはあまり得意ではないが、人の話を聞くことは好きだな。緊張している人の肩の力を抜き、談笑しながらも本質や肝を聞きだす。
いまは、ほとんど別の道を歩いているが、この経験は存分に活かされていると思うし、その時代があったからこそ今があると思っている。
著名な先生方に電話アポを取るのも自分の仕事、つまりアポからインタビュー、原稿書き、写真まですべてが一人の仕事だったから、ある意味くそ度胸やフットワークが身についてしまったのだろう。
そんな40年前からのこと、を思い出した。
改めてこの”書いて生きていく プロ文章論”を賛美したい。


13時半現在。
さて、これから仕事にかかろう。夕方までには終わると思っている。部屋の中は一切の暖を断っており、薄ら寒いが仕方なかろう。
また気がつけば、気になっていた右わき腹の痛みは治まっている。先週の運動不足と不健康な食生活が改まったからであろうか。
体重も79Kgでビックリしていたものが今日は77.2Kgと平常(まだ減らさなければならないのだが)になってきている。ほっ!


16時現在。
まとめごと終了。FAX送り込み、これからキーマンと連絡を取り合う予定。
きょうは、雨なのに目が痒くクシャミ多発。余り地震の噂をしないようにしている。余震来ないね―、落ち着いたかな、というとすぐに余震が来るからだ。
夕方になり段々冷えてきた。
FAXを送っている間、キーボードを弾いてみた。地震のあと、キーボードの上には本が山のように乗っており、直撃していた。ただ外観上に問題はないと思っていたが、これまで電気を入れることはしなかったんだ。壊れていることを知るのが嫌でね。きょう本をどけたあとで電気を入れて弾くとちゃんと音が出る。嬉しいね。楽しみ事が続けられるんだから。


19時現在。
寒くなってきたので布団にもぐり込んでTVを見ていた。
TwitterFacebookを見ていても、皆がそれぞれ自分の立場で何ができるか、どうできるかを模索し実行している。頭の下がることだ。
自分は、こう思う。例えボランティアや直接支援ができなくてもいい。被災された人のことを頭に思って、自分の仕事を熱心にやればそれでいいと。何故なら、これからの日本は大きな経済低迷に入ろうとする。そんな時に、自分の仕事を頑張ることで必ず皆のためになる、暗い日本を明るくすることになると思っている。
明日は、また忙しい一日となる。今自分に出来ること。募金による支援だろうな。そして自分の仕事に一層尽力することだ。日本の灯を絶やさないためにも。仲間が路頭に迷わないためにも。
相棒は今日も会社に出て働いていた。頭が下がる思い。
本日これまで。