上野には馴染みなかったが、きょうから一変、親しみ深い下町に魅了され。

おはようございます。
天気は晴れ。生暖かい風が吹いている。ラジヲは、永ちゃんの、愛しい奴、を流している。
風の音に舞うバラッド、静かな、本当に静かな朝だ。


新聞を読んでいたら突然、ユニクロの全面広告。黒木メイサさんを使った広告。ドキッとする、いやゾクッとすると言った方が良い美しさだ。
今日は午後から什器の搬入の立会いとなる。


今月末から来月にかけて、連続書き込み千日達成と、ブログ開始から三千日を達成することになる。
まとまりのある記録を残すことを目的にしているので、あとで本に残せるブログを選んだが、ここまで毎日書き続けられるとは思っても見なかった。
自分の場合、Twitterも使っているが、ふと呟くにはいいのだろうが、言葉が消えて行くのが余り好きではない。呟いた前後の想いもちゃんと記録に残したい性分なんだねきっと。それに、消えて行く言葉が勿体無い。断片で考えることが勿体無い。と思うから。
ブログがこんなに長く続いたのも、自分で自分を支えたということにもなるのだろうが、僅かではあるでしょうが、見続けてくれた、励ましをいただいた皆様のお力であると思っています。
今ひとつの計画は、SNSを中心にした人の関わりについて、単行本を考えています。文芸でなく、SNSマーケティングにというものでは更になく、生きるということとSNSの関係についてですが、果たしてどんな分野でくくれるのでしょうか。


浅田次郎さんの、日輪の遺産、が映画となるという。この物語を読んだ時に、ずいぶん泣いたことを記憶している。戦争は残酷なもので人の心どころか命までをおもちゃにして荒廃させてしまう。
とはいえ、戦争がなくなることはない。
人は残酷な宿命を担って生きて行く動物なんだね。
文藝春秋の今月号を読んでいると、沢木耕太郎さんが、戦争カメラマンのキャパの足跡を辿り語っている。また、映画監督の新藤兼人さんが偶然位生き残った自分の人生を、どういう気持ちで生きて来たかを語っている。
自分は、最近若い人が格言、あるいは著名人の生き方考え方、を堂々と紹介することがどうしても好きになれない。
むしろ、生きている環境に振り回される叫びを聴きたい、苦悩に歯を食い縛っているときの呻きを聴きたい。その呻きの中にある、ちょっとした光明や見出された救いを聴きたい。
格言や名言は、そこら中の本に書いてある。ネットを見ればすぐに探せる。その人本人からの言葉や著書を通じて知りたいと思っている。そしてその格言も、苦労の中に出て来た言葉だろうから、伝わってくるのだろう。


1620現在。本郷駅前のドトールにて。
現在什器の組み立ての待機中。おそらく時間は押していて、予定の時間はすぎるのだろう。
受付は綺麗に出来上がっており、照明も新しい社名を照らし出している。
いろいろな疑問が自分に投げかけられているが、確かに狭いかもしれない、確かに数社混在しているかもしれない。しかし原点にある、集まる事の深い想いや意味を考えれば、狭いながらも自ずと工夫が生まれよう。仲良くできよう。
疑問はちゃんと受け止めるつもりだし、悪者が一点に絞られれば、幅広く波及する事もなかろう。横暴は自分一人でたくさんだ。
強引や横暴でなければ、決してこのような事は進まない。しかし、敵も見方も分からない戦いは嫌だな。


2115現在。帰宅。
Twitterというのは面白いね。自分の場合、一つの文章訓練の場と考えている。
140字の制限は、言葉の伝達に論理的な何者もあるわけでなく、単なる物理的な制限でしかないが、この短い枠を使って、情緒を込めてある程度の状況をまとめるには、工夫がいる。毎日、一つくらいは、この長さ一杯を使って、文章化の訓練をしているんだ。


今日の呟きの中から以下二つ。
初めて本郷から上野まで歩いた。湯島天神を過ぎると、急に明るいネオン街、目をキョロキョロしていれば、どんどん客引きに捕まり歩くペースが落ちていく。振り切り行けば、そこに本屋有り、モンスター、を探せば鎮座まし、これからの通勤経路はこれだね。 おまけに配架が作家別とくれば言うことなし。


上野駅近く老舗の漬物屋?を発見。何に目を奪われたかって言うと、鯖の燻製との看板表記、鯖の変化態様に関心が兼ねてよりあり、一つ480円が3つで980円とくりゃー、どうしても3つ買いまする。いつもこれで家人に手酷く咎めを受るが、これもまた良し。三毛に悟られないよう我が家の門をくぐる。


今日からの車中読書は、久しぶりの、有川浩さんの、シアター2だ。
1も読んでいないのに2
とは酷い読み方だと思ったが、本屋さんにもなかったので仕方が無い。