苦しみや迷いがあればこそ、何かを産み出し創ることができる、と庭のユリの蕾が言い聞かせてくれる朝。

おはようございます。
久しぶりに千葉の朝です。
曇りでしょうか。空は明るいのですが。
よく寝ましたが、疲労感は強く残っています。
ちょっと遅れて行くつもりです。
昨日まで、酷い寝汗をかいていましたが、今朝はありません。
さあ、今日も頑張りましょうか。


姪っ子とのポタポタ京都東山散歩、至福の時だったな。歩きながらにどんどん話しかけてくる。私も心の底の話をする。
景色と会話のコラボレーション。
ふと腕を組んで歩きたい衝動にとらわれるが、それは親父殿に殴られる。
父娘の気分を味合わせてせてくれてありがとう。幸せになれよ。と叔父が祈る。


1942現在。
大幅修正で、今日もかなり追い込まれてしまった。しかし最後は大どんでん返しでナレーションの負担が減ることになり、大きな安堵を先ほど得た。
だが、大勢の仲間がいるのに、強い孤独感を感じるな。一杯に張り詰めた寂しい夜を迎えて、大きなため息が出る。
これも自分のいたらなさの故、大事な人への思いやりの足りなさの故、罰が当たっているんだろう。
明日は、会場のホテルに泊まり込みとなる。
今は祈るのみ。


2239現在。帰宅しました。
かなりの疲労困憊状態です。毎年のことではありますが、今年は状況が状況だけに修正がギリギリまで続いています。一番堪えることは、ナレーションの修正です。喋ることには抵抗はないのですが、日によって、場所によって、機材によって、音質が変化するのです。同じつもりで声を出していても、聞いてみると明暗が異なっていたり、張りが違っていたりと、実に様々なんですね。いつも同じ声を出すなんて、訓練されているわけでありませんからできようはずもなく、それを乗り越えてのチャレンジは極めて痛い目に会うのです。今回も、前半と後半を二日に分けて録音しましたら、見事に明るい声と暗い声に別れていました。
明日は午後一番には、すべてがフィックスできることを祈っています。
帰宅してからも、気になる点を思い出し、明日の朝再確認するつもりです。