ほっとして美味い酒、これでいいのかと問い詰める心、今日は、無礼講。

おはようございます。
一年に一度の東京宿泊の朝です。
二時間おきくらいに目が覚めてしまい、どうなんでしょう。しかしその間は熟睡もしていたようで、眠さは感じておりません。スッキリしています。
さあ、今日のために約一ヶ月段取りをしていたわけで、しっかりと尽くしましょう。
お願いいたします。


2121現在。帰宅途中。
長い一日が終わった。だがそれはついているだけ。
もちろんホッとしてもいるし、救われた気持ちにもなっているが、本当はそこじゃないんだよね、つまらない枠の中の話を聞いてしまったこともあり、偉くなれば枠になる、ということにぴったりだ。
偉くなればアイデアがシビアになる、というのであれば納得はできるのだが。まあ、いい酒を飲めたとは思うけれど、そんなことで何かが繋がったとは思うなよ。私のハードルは高いよ。でも威力はないけどね。
肝心なのは、社内営業が足りないとか、


2246現在。帰宅しました。
酔っ払って乗り過ごして、成田まで行ってきました。
浅草橋から京成に乗って座れたものだから、ブログを書きながら途中で寝てしまったようで、最後の行が意味がわからない。
でもね、なんか怒っていたんだ。それは今も続いている。
何だか、小さな丸い幸せの桶の中で、あーだこーだと愚痴を言っている。桶の外があることも知らないで。幸せなんだが、そんな幸せは長くは続かない。だんだん窮地に追い込まれる、小さく萎みゆく幸せなんだから。
なぜ、お追蹤を言うのだろう、悪口を言うのだろう。数日前に書いたけれど、サラリーマンなんてやめようよ。だんだん人間が卑屈になる。
これからは比較的楽な立場になるので、若い人には言いたいことをいうつもりでいる。古い人には、そんなことを言ってる時間が勿体無い。
物語を創造するには面白いとは思うが、今自分が生きて行く道筋の中では、だんだん人間嫌いになって行く。惚れた人がいるだけに、なぜそんな考えができないんだろうと、悔し涙。
上手くいった日に、こんな言葉の羅列は似つかわしくないが、あくまで今日は、運が良かった、人徳を積んだ人がいたから、としか思えないんだ。


数日ぶりに、ようやく音楽を聞きたい気持ちになってきたよ。よかった。本当に良かった。いつまでも君に救われた気持ちは忘れない。