京都の朝は冷えびえと、比叡の向こうは雪だろうか、錦市場に新春迎える湯気が立ち。

おはようございます。
昨のブログを見返すと、よほどに怒りを感じていたんだなということがわかる。しかし、自戒の意味もあって訂正はすまい。
相手もこれは相談しても無駄だし信用もしない、と思っていることだろう。
人は変わるものなんだな、環境がそうさせるんだろう。頑なになる気持ちもわかるんだが、頑なになっても解決しないだけなんだ。
一方では、変わらない人がいる。それでいて不安や疑問を感じているらしい。しかしその人には変わって欲しいんだが、言われることが受け付けられないらしい。
私の言い方にも問題があるのだろう。
自戒の必要は多いにあるとも思っている。言葉が災いとなろう、ということもね。
信じる道を歩くだけ、かな。人との交わりでマイナスに触れるものは、残された時間を考えても無用のことなんだろうな。
愚痴はもうやめにしよう。
ある本のことを思い出した。前進に繋がらない悩みや繰り言は意味がない!その通りだ。


愛する者を守るために、戦わなければならないのが社会や環境でなく、ひょっとしたら自分と気がついた時、人はどうするのだろうか。物語のプロットになる。
さあ、出かけよう。


ニュースで雪の中を走るのぞみを見た。京都も間も無く雪になるのだろうか。一風呂浴びたら、東寺に向かう。八坂神社は迷うところだな。


本日からの車中読書は、森沢明夫さんの、虹の岬の喫茶店、というもの。初めての作家だ。奥田英朗さんの平積みの隣にありました。


1113現在。イノダ珈琲店
私の京都の歩きの出発点は、いつもイノダ珈琲店の一杯から始まる。いつもミルクと砂糖が入ったものを頼む。普段はブラックしか飲まないが、ここでは伝統に従っている。
荷物が重いので錦市場を通って八坂神社に行くことに、逡巡するが、多くのお参り事項を持っていることから、行くんだと、決意する。
施設を出てみると、そんなに寒くはないね。むしろ珈琲店でコートを脱ぐと汗が吹き出すくらいだ。


1423現在。
関ヶ原は一面の銀世界だった。真っ白な景色に点在する民家や畑。美しいね。
小説を読み始めているが、時々うとうと。けれど、描写が素敵だ。小さな娘と二人ぽっちになった生活を描いている。切ないね。


1728現在。帰宅しました。
鞄が重くてかなり肩が凝ってしまいました。出来るだけ肩に掛けないようにしているのだが、すぐに腕指が疲れてしまう。それでも八坂さんまではなんとか歩き通した。錦市場は、正月前の賑わいで人出で一杯だったね。
八坂さんから、東寺まではタクシーにて。ここは観光客も少なくってゆっくりとお参りすることができました。余りにお願いごとが多いので、弘法大師様も面喰らわれていることだろう。いつものように高野山奥之院に向かってお祈りをした。


家に帰って見ると義母が熱を出して寝込んでいる。
高齢だから一家で心配している。