散る花を見て わが身の行方 記す文かな

おはようございます。
千葉は快晴です。ちょっと寒いかな。
よーく寝ました。気分はスッキリしています。
さあ、今日はのんびり。


昨日の朝礼は自分の当番でした。突然でしたので、ちょうど今頭を巡っている脚本の話をしました。いえいえ、脚本そのものでなく、その中で日常のヒントになる言葉を紹介しました。
それは、前に書いた何故Whyと何がWhat、のこと。微妙な差だけれど、感覚的に違うことなんだと多少は感じてもらえたかな。
人が人として成長するためには、具体的に何がそうさせたかを上げることが必要。金がなかったから、むしゃくしゃしていたから、気に入らなかったから、、、全て自分がどういう状態にあったかのこと。
これが何故だと、給料が安かったから、嫌味を言われたから、指導してくれないから、社会が悪いから、、、などと殆どが周りのせいとなる。
この微妙な言葉の差は、なんだろうね。研究の余地が多いにあると思っている。


0938現在。
脚本術2を読み始めた。
前書きから含蓄のある言葉だね。アートは、そのプロセスの中で創造されるもの、インスピレーションを待っている人には一生待ち続けてもアートは生まれない。いい言葉だね。
兎に角、何かに向かう、気持ちのままでもいい、兎に角考えること、手を動かすこと、文字にすること、色にすること、なんだろうね。元気が湧いて来た。


花に惚れ 惚れた花の凛々しさは 雨風に散ることもなく心に咲く。


2005現在。帰宅しました。
午後から歴博に桜を見に行って来ました。
ほぼ満開の桜は、目まぐるしく変わる天候の下、晴れには豊かな緑に映え、暗黒に雲が覆えば切なく耐えていた。
隣接する城址公園には多くの屋台のテントが出て、ケバブを昼食替わりに食べましたが、量が多くて持て余すありさま。今日は余り食欲がありません。
芝の中央では佐倉高校の合唱クラブが、歌ってくれていました。合唱もいいねー。久しぶりに聴いた。とても上手で多くの観客から拍手をもらっていた。気持ちがとても穏やかになり、春爛漫に青春を蘇らせてくれました。
彼ら彼女らの青春と私の思い出の青春が一つになったようです。ありがとう。
歴博では、地震と震災のテーマの企画展示を見て、大きな窓からの夜桜の時間まで時間を潰しました。
日が落ちて、歴博のロビーも灯りが消されると、広大な屏風のようなガラス窓一杯にライトアップされた大きな桜の木が浮かび上がります。
今日は、のんびりとした一日でした。命の洗濯とでも言うのでしょうか。
結構疲れましたので、明日は殆ど寝て過ごすでしょうね。多分。でもね、仕事疲れでない、身体の疲れですから、すぐに回復できるはずなんです。