自転車1

自分の記憶が目覚めた頃、それは小学校に入るか入らないかだった頃だろうか。家業は従業員が何人もいる自転車屋だった。
とはいえ暮らしの中にある生活圏の街は小さくて、また小さな自分の歩幅も小さくて、自転車に乗って隣の街に越境冒険するなどの記憶もない。
高校に入り、山の上から連絡船の出る波止場まで自転車で通う毎日が、日常としての自転車の記憶の始まりだった。しかしこれはあくまで通学のための、行きはもっぱら下り坂で30分、帰りは全てが上り坂で1時間という、小さな街ではあるが外れから外れまでの行のようなものだった。
そんな自分にとって、自転車が人生の友のように感じるようになったのは、大学を出て数年経った頃だろうか。会社に勤め始めて夏季休暇を持て余すようになっていた頃、まだまだ人見知りで付き合う異性もできなかった頃だった。
どうして自分の目の前に自転車が登場したのかは、全く記憶にないが、郊外の自宅近くにある駅前で店を開いていた自転車屋さんで購入したことは覚えている。
会社からの帰り道、夕暮れの中その店に入り、突然ロードバイクは何が良いのか勧めてもらった。それから休日ともなると、家から近い場所をくるくると回り始めた。きっと自分の身体と自転車の相性がとても良かったんだろうね、少しずつ遠出をするようになってきた。
郊外の清瀬から神田の本屋さんや秋葉原の電気街まで、あるいは
西武鉄道に沿って北へ向かうなど。
そうこうする週末を過ごしているある時、一泊二日で小田原まで行ってみようと思った。これが最初の長距離行となる。
土曜日の朝、まるまる1日をかけて走り続けることが出来るか、相当な不安はあったものの、第一歩を漕ぎ始めた。
どのような行程を辿ったかは全く覚えていないが、東京の中央は通らずに、斜め横断して国道1号線に出たんだろう、長い長い東海道の道は真に長く遠かった。それでも早朝に出発したので、日が陰るまでには小田原に到着した。小田原城を見学して茶店で蒲鉾を食べた記憶がある。
行程の景色は、ほとんど覚えていないが、国道の車の多さには辟易したこと、排ガスで喉が痛くなったこと、長い松林が綺麗だったことくらいで、途中休みなく駆け抜けた。腹が減ったら道端でパンと牛乳、疲れたらまた道端の井戸や水道で喉を潤す、ただそれだけだった。
自分の性格は今もなおその頃と変わりなく、先を決めたら一直線で、途中の景色や風情を楽しむゆとりも興味もないのだ。そんな心根があれば、今は違った文人の道を歩いて行けたのかもしれないな。
その日は、小田原城周辺でビジネスホテルを探して、早々に寝てしまった。きっと明日家に帰り着くことが出来るか、来た道を引き返すのは嫌だな等、心配性の自分は強い不安を感じていた。
輪行という長距離移動の手立てまで気がつかない間は、出かける時と帰る時には、必ずこの不安が襲っていた。
週末の長距離を何回か繰り返すうちに、自転車の専門雑誌に出会い、輪行による大距離を移動や、遠くの地方に出かけることに憧れ始めた。それが私の紀伊半島周辺の自転車の旅の始まりであった。