おはようございます。
曇りの朝です。
少々体調が良くありません。きっと疲れが出ているのでしょう。
少し遅れて出社します。
本日からの車中読書は、久し振りの原田マハさんで、楽園のカンヴァス。さてさてどの様な世界にいざなってくれるでありましょうか確か、単行本で買いたいな、と書評により触手が動いた本でした。


2045現在。スカイライナーにて帰宅途上。
明日の会議の支度をしていて遅くなってしまいました。
今日は、長電話で血圧の上がる事態もあり、怒気の強い言葉を使いましたが、コミュニケーション力の足らない人物との会話には、ビジネスに加えて意趣返しも含まれ、結局話しても無駄なこと。当方も、別の手続きで既に手を打ちましたが、誠に偏狭な心には何を言っても意味がない。
結局善意の申し出に迷惑をかけることになってしまった。
真につまらぬ話だ。この様なことで様々な悶着を起こしていることは容易に想像できる。


さて、もうそんなことはどうでも良く、どの様に近未来を描くのかが重要である。今朝もその様な話でしばらく打合せをしていたが、いまの商品について未来をどの様に描くかに並行して、新しくこれまでに捉われない着想で商品を考える必要がある。しかし、この様な話とは、コアを捨てるのかと言う議論にすぐに陥ってしまう。自分は、コアに拘り続ける必要はないと思っている。技術のライフサイクルが20年も30年も続くはずがない。インターネットが生まれたのが1995年だとしてもまだ20年しか経っていず、まだまだ発展途上である。デバイスは、PCからスマホタブレットに変わり、更にウエアラブルが目の前に来ている。
ネット空間もパソコン通信から、初期のWebに変わり、ECは大きく成長し、今やネットマーケティングの技術も、大きく変遷し進化してきた。そしてまだまだ進化する。SNSもその一つの進化の形である。
何もないところに技術を編み出し商品や市場を生み出す。そこには古きコアに捉われることが、ブレーキとなる。そして、コアを守ることこそが歴史を守ることだと思い込んでしまう。
進化する革新する歴史には大いなる意味があり歴史としての価値がある。しかし、守る技術などと言うものは、賞味期限といつも裏腹だと言うことを忘れてはならない。
キーマンは、その新しい着想こそが若者から生まれることを期待している。しかし、皆は余り関心がない。悩むところだ。受け売りだが、昔ビックというボールペンの会社があった。その会社でどの様な新商品を作れば起死回生ができるか、を議論したと言う。インクを変えて見たら。グリップを変えて見たら。などなど、オズボーンのチェックリストの様な多くのアイデアが出たと言う。
しかし、ある取締役が恐る恐る申し出た。我が社のボールペンは、使い捨てで受け入れられました。どうでしょう、使い捨てをコンセプトに考えて見たら、と使い捨てライターを提案したと言う。
現在の100円ライターの生まれるところとなり、更に、使い捨てカミソリが同社の製品となり、新たなビジネスとなり発展したと言う。
大胆な発想転換である。