苦しみの眼差しの先に 何が映っているのだろうか 娘や息子の幸せな未来の姿だろう 想えば雫溢れる。

おはようございます。
千葉の朝は快晴です。
かなり疲労が出ています。
しかしそんなことは言ってられません。義兄の容体が良くないとの昨夜の連絡を受けて、我が家では緊張感が走っています。連れ合いは明日からお見舞いに泊まり込みで行きますが、自分は、何時でも駆けつけられるような仕事の段取りを組み立てるつもりです。


2205現在。スカイライナー乗車
総会後の懇親会、集いは有意義でありました。
しかし、心打つということはどう言うことでしょうか深い悩みは存在したままです。
いつか相棒が、孤独な状況はよくわかると云ってくれたことがあります。
上になればなるほどに孤独でありましょう。いつもしたの意見を汲み、いつもその意見を反映する、それは民主的であるように一見見えるかもしれないが、私は違うと思っている。
上に強く下に柔軟にと言うのは、いつか破綻が来ると思っている。極端を言えば人気取りでしかなくて、上に言うにしてもその下の意見を代弁するために、下の意見をあたかも代弁するがごとくに使う。
いつか化けの皮が剥がれるでしょうし、男前と言うのは、違うんだよねー。そんなこととは。