おはようございます。
千葉は快晴です。
昨夜は、突然の豪雨でした。窓を開けっぱなしでしたので慌てました。地面もかなり濡れていますので、今朝の水やりは、午後からで良いでしょう。
本日は、終戦記念日であるとともに、私の69歳の誕生日でもあります。昨夕、戦後70年の首相談話をじっと聞いていましたが、なかなかの長文でしたね。話の展開が、次はどう続くのかをドキドキ心配させる面もありましたが、総じて立派な内容であったと思っています。次代を受け継いでいく子や孫たちには、この荷を背負わしてはならないという下りは、まさにその通りであると思います。
朝日新聞の論評を見てると、村山談話から大きく後退しているという。しかし、歴代の談話を絶対に継承していくと表明していることからすれば、つまりは何を語っても信用をしない、ということなんだろう。つまらん新聞だなと思う。
私は、現政権の全てを認めているわけでもない。特に原発再稼働には、強い憤りを感じている。しかし、今回の談話は、是は是はとして認めなければ、何ごとも反対しているとしか思えない。談話において、涙を流し、土下座をすれば許されるかというと、それはそれでパフォーマンスとしか言われないことでもあろう。
多くの人が様々に論評することは自由であるが、マスコミは自分の意見を主張しないでいただきたい。賛否を公平に掲げ、国民の判断に委ねる姿勢を取っていただきたいものだ。
過去の過ちのように、正義を煽り戦争を煽った責任がマスコミにもあったことを忘れてはならない。もちろん最も悪かったのは、軍部であり為政者である。
誰かがTVで語っていた。戦争は仕組んで起こることもあれば、偶発的に起こることもある。その通りだと思う。今の日本が戦争を仕組んで行うということはあり得ない。しかし、仕組まれた中で、その挑発に乗ることは十分にある。また、そのような状況の中で偶発的に戦争のきっかけが起こることもあるだろう。そんな時には、正義という御旗が戦争への道を加速させてしまう。
これを外交や国連の力で解決していくのが、政治の力である。


1000現在。
長閑な午前である。
静かにスクラップアンドビルドを読んでいる。若者と母といわば寝たきりに近い祖父との生活の物語である。先ずは、若者の若さ故のだらしなさが胸に来る。物語に行方はどうなって行くのだろう。老人に我が身を写しながら、興味深く読み進めたい。
昨日読了の火花には触発されている。芸人が書いたものと言うことではなくて、笑いを主題にした、その根源をこの様に突き詰めて描くことが出来るんだ、ということに。笑わすことを生業とすることが、生き方としてどの様な想いかを真面目に捉えている。笑わすことは才能やテクニックなのか、それとも笑わすことを職業とすれば生きる事そのものが笑われる事でなければならないのか。初めて考えさせられた様に思う。確かに真面目な芸人には、その様な葛藤もあるんだろうね。とにかく触発させられた事は現実だし、少し机に向かう気になった。