おはようございます。って時間じゃないけれど。
快晴です。突き抜けるような青空です。
新聞広告を見ていると文庫で欲しい本がいっぱい。こりゃーお金がいくらあっても足りないなー。と思いながらもワクワクしている自分がいる。
読みたい作家の作品は、どうしても手にとって見たくなる。ビジネス本は、資料として積読本もあるが、小説だけは丹念に読んでいるので本の数だけ夢旅行を楽しんでいるというわけだ。
酒は減らしても、煙草は減らしても、飯の品質は落としても、本を読むことを減らすことはないだろうね。きっとね。


このとてもいい天気の中を、のんびりと書に触れることができるのも、かなりの幸せなことなんだね。大事にしておこう。
つい先日、ラオスに行ってきたが、快晴のもと街にある数多くの寺院を楽しんできた。またアメリカや北欧や地中海の国々での風や食事も楽しめた。
村上春樹さんの、いったいラオスに何があるというの、を読了した。


私が最近池井戸潤さんの本を読まなくなった理由、ある意味嫌いになった理由がある。正義を語れば確かにスカッとするが、いつも正義が勝つとは限らない、また正義の名の下に不正義が力を持つこともある。現に、それと戦ってもいる。
ある時、この現実の前に私が正義の元に主張したら、ある先生が、こう言われた。正義がいつも勝つとは限らないんだ。かなりのショックだった。だって、今の現実は確かにそうなんだから。自分が青年の主張をしていることが、とても恥ずかしかった。
あるときまで、池井戸潤さんの本に没頭していたけれど、現にその主人公になる人が私たちを苦しめている現実を見れば、正義なんて場合によっては仮面であることもある、ということに立ち返ってしまった。
とても悔しい。
そして、正義とは何かを考え直している。我々が感じる正義とは、個人の感情の中にある正しきことであり、絶対的正きことを保証しているわけではないことに気が付かねばならない。
それでも悔しさが消えるわけでもなく、我々の正しさを必死に証明する争いに真正面から立ち向かうことを続けるしかないのだ。


1340現在。
日本文学全集で、一時放棄した日野啓三さんを再び開き始めた。なぜ放棄したのかを知るためでもある。時間が経って見れば違う見方もできるかもしれないと思って。
この時間になれば、我が家への陽射しは隣家に隠れ、西日の頃にまた現れる。狭い団地の昼下がりである。


2000現在。
夕方から新しい文庫を読み始めた。窪美澄さんの、クラウドクラスターを愛する方法、と言うもの。窪美澄さんは、最近になって執着している作家だ。


2210現在。クラウドクラスターを読了した。
一機に読み上げてしまった。面白い本だったな。小説の在り方を示してくれる本だったと思う。
明日はまた別の本に取り掛かろう。