おはようございます。
晴れでございます。お日様が昇り、我が家を包み街を包み込んでいく光景は神々しく、祈らずにはいられません。
今日も良き一日でありますように。


1950現在。スカイライナー発車待ち。
今日は甘いものは控え珈琲のみで喫茶店
今日も長い一日でした。大きな課題の一つが終結に向かっています。今週来週はその終結対応で追われます。
他の課題は、まだ山積みのままであります。そのうちどれかは、ちょっとした揺れで雪崩を起こすかも知れませんね。


自分の体調があまり良くないので、来週の月火と休みを取るつもりでいます。精神的なものもあると思います。お墓参りに行って、その帰りに温泉にでも入れればいいな。今日、人の車に乗せてもらったのですが、シートの背もたれにヒーターが入っていて、とても気持ちがいいことに気がつきました。それで温泉で、なんてことを思ったわけですが、湯治もいいのかも知れません。


現状では、二人とも倒れるとどうなるかは、思い知りました。たまたま、リズムが異なったために二人同時はなくてすみましたが、今後起こり得ることです。連れ合いが、宝くじに当たれば、義理の妹の家の近くに家を建てると盛んに言っていた意味がよく分かります。そのような状況が可能になるには、本当に宝くじでも当たらない限りは生まれないわけですが。
世の中で大きな問題となっている事に、老々介護がありますが、団塊の世代の自分達には直面する課題でもあります。


さて、いま読んでいる空海。私の家は、浄土真宗ではありますが、自分の信じる宗派は空海さんの真言宗です。自分が亡くなった時には定めによりいつもお世話になっている、浄土真宗のお寺さんにお世話になりますが、事あるごとにお参りするお寺さんは真言宗のお寺が多いですね。特に矛盾するとは思ってはおりません。何かあれば、高野山は無理なので、東寺に行きますし、成田山に行きます。
今回の本を読んでいて強く感じているのは、密教については、お経としての言葉ではなく、身体とその行の霊的動作をもってそのお経の言葉を唱える事により、その念が通じるのだということではないか。そう感じています。空海さんの様々な本を読みましたが、このような理解を指し示してくれたのは高村薫さんの本だけだったと思っています。
まだ半ばですが、しばらくはこの世界に身を置いていたいと思っています。


2145現在。帰宅しました。
この一週間は、ブログの言葉が少なかったのですが、全く気持ちにゆとりがないせいでした。今日は少し肩の荷が降りてきたので、冗長になっております。
自分にとっては、ある意味自分の映し鏡のようなブログですが、気持ちを吐き出す事により救われの場となっているのでしょう。
ところで、もう3月です。原稿は、全く手が付いていません。この体調では、集中して夜も寝ずになどという気にはなりません。何より描くテーマがフラフラしていることがその気にさせないのかも知れません。無理はいたしません。
いまは、朝が気持ち良い目覚めであることが、大きな救いの一歩だと思って大事にしていきたい。ただそれだけです。
今日も早く、とは言っても23時近くになるでしょうが、就寝することにいたします。
本日も有難うございました。

70.0❌