大雨の午後

14時。外は大雨。九州では各所で雨による災害。今は災害の状況をTVで見て痛ましさを感じることになるが,一昔前は,ラジオと新聞でしかその災害を見ることは無かった。ニュース映像の機動力の凄さには驚く。
高校生の頃,40年近く前であろうか,親戚を頼って九州から鳥取に汽車で出かけた夏の日。ちょうどその1週間ほど前に大雨による被害が出て,ようやく開通直後の山陰本線を旅したことがあった。田畑は泥に埋まり,初めて災害を目の当たりにした気持ちは無性に震えがきた覚えがある。
更に数十年たって,阪神淡路の大地震直後にバスで,神戸の町を横断したときも,恐ろしさに震える心と体がそこにあった。自然災害の爪痕は街も人も,その心も打ち砕き,萎えさせてしまう。瞬間未来が無くなり呆然としてたたずむだけである。身寄りを失い,愛する人を失い,心と体に傷を受け,心は打ちのめされる。しかし,数日も立つと現実を直視し,踏ん張って立つ太い二本足が大地を踏みしめ,手は泥をかき,しっかり生きようとしている姿がそこにある。これが一人ぽっちだったらどうだろうか。そんなことが九州の災害について気をよぎった。