闘病の記録と心の変化

<腫瘍発見と癌告知>
①11月16日、遅れての会社検診を受けるが腹部エコーにより腎臓に腫瘍が発見される。
その場で腎臓の腫瘍は90%癌であると宣告される。
一瞬にして気持ちと自分の細胞の活性が静寂してしまう。
落ち込むと云うよりは低エネルギーにて諸動作/意識が鈍くなるような気分。
②診療所のすすめで翌日CTを撮るが、結果は変わらず。
但し、廻りに転移しているような気配は見受けられないとのこと。
診療所の見立てでも、これは手術して取るしか方法がないとの見解であり、何処か病院を紹介するが何処がいいかと問われる。
③家族と相談して、家の近くにも東邦大病院や聖霊佐倉病院(元国立)があったが、ネットで調べた結果、やはり千葉で最大の高度な技術をもつ病院ということで国立千葉大学付属病院を紹介してもらうことにした。
東邦大病院は、調べる限り腎癌手術について症例が少ない。
聖霊佐倉病院は、最近慈恵会医科大学青戸病院で内視鏡手術で事故を起こし、その責任を取って辞めた教授が赴任していたことが判明したので対象外とした。
④紹介状を持って千葉大病院に行った。
これまで自分の人生では大病をしたこともなく、ツキに恵まれていたとも思っていたので、何かの間違いで“単に水疱や膿泡”(体質的によく膿泡が出来やすいこともあって)と診断されるかも知れないと、一縷の望みを託していた。
だが結果は、診察を受けた最初から、腎癌の診断で“手術日の予約をして欲しい”といわれてしまった。
やはり腎臓の腫瘍は90%癌であり、腫瘍が大きいために片方の腎臓を摘出することになると云うことだった。
改めて宣告された気分は、細胞がようやく動いているという心底ブルーな気分であった。

<検査漬け/手術前治療>
①約2ヶ月に渡る検査が始まった。
レントゲン、造影剤を使ったCT(これが副作用がキツく辛かった)、MRI、RI、幾度もの血液検査、手術に耐える心臓どうかの心臓負荷検査、血糖値が高かったため急速な改善治療にも入る。
大学病院の検査は、万全ではあるが、予約する日、検査をする日、診断結果を聞く日と全てが別々のスケジュールとなり、日は刻々と過ぎていく。
また結果を聞くまでの不安が高まる。
検査によっては副作用の強いものがあり、気がめげてしまうこともあった。
しかし何より、検査結果が他の臓器や骨への転移がなくステージ1で偶発的発見でよかったという医者の意見に支えられた。
インシュリンによる血糖値コントロールが始まった。
血糖値が高いと手術出来ないということで、インシュリンを使った血糖値コントロール治療が始まった。
毎食直前にインシュリンを自己注射すること。
合計1日3回+寝る前の4回自己注射を打つことになる。
この日から昼食や夕食を外食することが出来ない状況になり(食事を目の前にしてインシュリン注射をするため人前でははばかられる)、ひっそりと会社会議室で昼食を取る毎日。
インシュリン治療は、社会生活を大きく制限してしまうものだ。
また、インシュリンを打つ量やタイミング、打つ場所などについて、日常生活上のいろいろな変化系への対応説明がないものだから、不安が募った。
これは自己治療の場合のコンテンツの領域だろう。
③2ヶ月の間に無事検査も済み、血糖値も下がる。

<入院/手術>
①入院する。
入院手引き書には、部屋の指定が出来るように思われたが、聞いてみると、病状経過により病院側が病室をアレンジすると云うことで、まったく選択の余地はない。
結果、手術前6人部屋。術後3日間個室。それ以降退院まで4人部屋。
入院と同時に、診察カードは病院に預けるが、期間中の検査もあることから直ちに複製が作られ本人に配布された。
また、手首にバーコード付の本人識別票をつけられた。
診察カードを忘れて検査に行った時などはこの識別票で判別していた。
②ケースケースでクリニカルパスがきちんと組まれていることが、患者にもよく伝わる説明があり、術後9日で退院出来るとのこと。結果その通りであった。
③術式の説明があり手術は腹空鏡による手術で回復が早いと説明を受けるが、手術のリスク説明と麻酔のリスク説明事項が膨大にあり、気が滅入ること夥しいが、前日になって云われても手術を受けるしかなく、いわゆる手順手続き儀式だと思う他ない。
④手術は6時間かかるが平均的なものであった。
⑤麻酔の効きは劇的で、全身麻酔(注射による)と脊椎傍に管をつけて打つ麻酔の2つを併用されたが、瞬間意識不明となり、6時間後に呼び起こされるまでが数秒の経過のような感じであった。
⑥手術後2日間は動こうとすると相当な痛みが襲い、悲鳴を上げたこともあった。
⑦術後の病室が4人部屋になった時には、腎癌、前立腺癌、膀胱癌の重症者と同室で、漏れ聞こえる会話などを聞いていると非常に気が重くなり、また不安になる日々。
⑧自分のように偶発的発見で入院した人はなく、すべてが症状が現れてからの患者であり、転移や手術不可能な状況の人もおり、自分がそのような状況になった時にここまで堪えることが出来るのかかなり不安な気持ちだった。
⑨特に転移がひどく手術が出来なくて、本人もそれを告知されている前立腺癌の同室者は、泊まり込みで看病に来ている奥さんと微笑ましいほど仲がよく、日中笑い声が絶えないほどだ。
だが心中を察すると、可哀想で思い出すだけでも涙が湧いてくる。
自分は、かみさんにちゃんとした思いやりを尽くしているかと毎日考えさせられ、また泣いた。
どうやらまた一段と涙もろくなった。
⑩この前立腺癌の患者さんは、見るからに仏様のような顔をされていて、福々しい。
70歳台であろうか、下半身が麻痺していて、おむつをつけているとのこと。
おむつの付け替えは、看護師が2人がかりで重労働だ。
一日に数回、深夜であろうが時を選ばない。
看護師の処し方に感動した。
実に立派なあたたかい対応だ。
排泄の処理は汚くもあろう、面倒でもあろう、ある時にはまたしたのと、おもう時もあろう。
だがそんな対応はみじんもなく人の尊厳を立派に守ってくれている。
こんな時患者の方も、非常に申し訳なく思っていることが伝わってきて、傍で見ていて涙が出てくる。
患者が、“ご免ねご免ね、かなり汚したかも知れない”“ほんとにご免ね”と拝むように手を合わせている。
看護師は明るく“いつまでもほっとくと気持ち悪いでしょ。いつでもいいから云って頂戴ね。清潔が一番!”などと優しくいって、一人はベッドにのぼり、一人は横からサポートする。
こんな職業を選ぶ人は、何に支えられているんだろう。
ナイチンゲールの精神は本当に素晴らしいものだ。
こんな光景が、深夜でも行われているので、同室の自分はおよそ3時間起きくらいに目が覚めることになる。
しかし、ちっとも嫌な気はしない。
日中もウトウトしているので睡眠不足にはならない。
もちろん、こんなことばかりで目が覚めるわけではなく、全員が点滴を打ち続けているので、点滴の交換でしょっちゅう深夜の出入りや作業が行われているのだ。