祭り

祭りっていいですね。神輿を担いでいる人も、踊っている人も、神楽を囃しているひとも、見物客も、屋台の人も、どんな人も険しい顔の人なんていない。警備の人くらいだろうか。最近思うのだが神輿を担いだり踊ったりする女性の増えたこと。これがまた美しく、妖艶に見えるんです。
女性の参加は時代の移り変わりで、大いに結構なことだが、もっと嬉しいことがある。
それは若い人、高校生くらいの、ちょっと突っ張りたくなるような年代の男子が、元気に、汗をふんだんにかきながら”ヤッセーラ、ヤッセーラ、ヤッセーヤッセーヤッセーラ”と大きな声をかけながら練り歩く姿を見ると、涙が出てきそうになる。日本は健全だ。っと思うのだ。
また、明日は毎年欠かさない佐倉の時代祭りだが、このような鄙びたローカルな街のお祭りにも、青年団というか若い人たちの健全な情熱が爆発しているのを見ると、嬉しいのであります。なぜでしょう。
よく分かりませんが、暴走族の傍若無人の行動や若い人たちの起こす事件の多い事を見ると、祭りで情熱を昇華させているような純粋さを見せ付けられると、まだまだ捨てたもんじゃない。日本は。っとジーンと来てしまうのです。
何ですか、電車に乗って通学しているあの高校生達のだらしない、無気力な格好や表情は。これが同じ人たちの変化形だと思うと、ちょっと信じられませんが、まぁよかろう。っと思うことにしております。
縁日も大好きですね。なんというか、出ている屋台の一軒一軒をほぼくまなく見て行きますと、同種のお店が多いことはよく分かりますが、最近はエスニックな屋台が増えてきていることに気が付きます。一度は寄ってみたいところですが、なかなか度胸がありません。せいぜいが焼きそばや肉マンというところでしょうか。
当地の団地のお祭りでは、自治会が主催のお祭りとなっていますが、自治会の健全性がそうさせるのでしょうが、屋台が殆ど出ていません。出ていても自治体の”何とかサークル”の集まりで焼きそばや焼き鳥を出しており、テキヤさんのあの妖しげな屋台はないのであります。こんなお祭りは長続きをしないと思っています。つまり健全性だけを求めると、小さな子供を持った人たちだけが楽しめるお祭りになってしまうからです。つまり子供会のバザーなんですな。
やはりお祭りは、妖しげで、猥雑でなければなりません。本当に小さな頃、九州の福岡にいた頃、つまり昭和35年頃でしょうか。太宰府天満宮に行ったときに、屋台のほかにもお化け屋敷や見世物などもあり、誠に今から思えば時代劇に見る江戸時代の光景のようでありました。
沢木耕太郎さんの”深夜特急”に出てくる香港や、アジアの露天こそ、我が故郷に帰ったように思える今日この頃です。