詩は 己の道を歩み 曲は 詩を誘い出す。

8時起床。天気は曇り。目覚め快調。
昨日は、パブリシティ原稿だけ解決。その他には手が付かず頭回らず。


10時現在。
連れ合いが、義母を迎えに行くために出かけていった。今日から、義母は千葉である。一段と賑わいのある我家となる。
自分は、夕方もしくは夜になって東京に出かけていく。明日の早朝準備に対応するためだ。今回、初めて三井ガーデン四谷に泊まる。新設のホテルだ。値段もリーズナブルなものだ。東京に宿をとるのは何十年ぶりかもしれないな。


今日は、相変わらずマイケルジャクソンのニュースで持ちきりだ。彼の音楽のファンというわけではないが、嫌いなわけではない。自分の生きてきた時代にほぼ同期して、一世を風靡してきた彼の音楽は、時代の背景や環境の一部として強く耳に残っている。
彼を飾った多くの事件や整形などのニュースについて、いろいろな評論があるが、自分が思うには、偉大なる芸術家は、狂気の人であるということである。狂気無きところに芸術は生まれない。つまり、芸術を論じる時に、その創造者の人間性をどうこう論じても意味がないということだ。
繰り返し流される、彼の今日の映像に、やはり凄まじい破壊力と魅力を感じる。偉大な人を若くして失ったものだ。


17時10分現在。雨。
仕事をしながら、NHKを見ていた。小田和正さんをゲストに呼んだ、若きクリエイティブ・ライターを相手にした対談番組だった。非常に、照れ屋さんでシャイな人なんだな。という思い。
彼の作品はよく聴いている。とはいえ、積極的にというわけでなく、突然FMから流れ出る時に聴き入ってしまうのだ。曲も、詩も、声も素晴らしい。
今日の番組の中で、刺激されたことは、詩が先にできることは90%なく、殆どが曲が先にできるということだった。
彼の言うところを解すると、詩はそれだけで立派に存在し、曲のイメージを固定することは自分には難しい。その点、曲が先にできることは、詩のイメージは曲に引きずられるように出てくる。ということのようだ。
このことは、自分にも非常によく分かる。曲を思い浮かべる時には、すでに詩も頭の中に、情緒だけでも、情景だけでも、湧いて彷徨っているのだろう。
ところが詩を思い浮かべる時、曲のイメージは湧くことはなく、むしろさらに詩を突き詰めていき、言葉に思いを定着していくことが、先に進んでしまうからではないかと思っている。
いずれにしても、自分に楽曲を作る才が乏しいために、番組での話は分かったが、悔しい思いが残った。今度は、鼻歌交じりに詩を書いてみよう。かな。
19時近くに、東京に向けて出発する予定だ。施設についてからも仕事は残っている。


22時現在。三井ガーデン四谷着。
オープン間もないために、相当に綺麗で、設備もなかなか充実している。部屋も広し。
1階にはイタリアレストランがあり、日曜日も23時までやっているとの事。オープンテラスになっており、外人さんが一杯のレストラン。石釜も有りピザも焼いていた。いつか食べに来てもよいな。
さぁ、これから一仕事だ。明日は5時起きで、準備万端GMSHに臨もうと思う。