凛として正し 毅然と受止める 人としての道だと思う。

9時起床。天気は快晴。目覚め快調。よく寝ました。
昨日は、映画を見たり、銀座を歩いたり食事をしたりで、結構疲れましたが、映画のお陰で清々しい気分を取り戻せた。
一昨日までだったら、”獄(ひとや)に咲く花”は千葉でもロードショーをやっていたんだが、昨日から近郊ではスバル座だけになってしまった。チケットはかなり前から届けられていたんだが、出張が立て続いていたためにグズグズしており昨日となった。
http://www.cinematoday.jp/movie/T0008343


昨日と一昨日、思い立って率直な気持ちで散文”漂流する心”と詩歌”舫い綱”を書いた。特に、詩歌は、お昼に気が高ぶるままに、1番と2番までを書き、映画を見に行く電車の中で、どうにもあのままでは収まりがつかない気になり、3番のプロットを思いつきメモした。
さらに、”獄に咲く花”を見て、自分を取り戻せたようで、メモを修正し、深夜に3番を付け加えた。そんなこんなで、心波立つ2日間であった。


本日の予定は、午前中は銀行に出す資料を作成し、午後から四街道クラブの集まりに顔を出してみようかな。


17時半現在。帰宅。
四街道の集まり(筍堀パーティ)に午後から参加してきた。懐かしい面々と、全く顔を知らない人たちの中、お茶だけで過ごしてきた。もう何年もこのパーティには参加してなくて、行く道も定かではなかったが、運転してみると思い出してきた、懐かしい道。
ジャンク市があり、売れ残っている中にシュレッダーがあったので、500円で調達してきた。我家では、結構極秘資料を作成するので、シュレッダーを検討していたところだったから、有り難かった。問題は、ちゃんと動くかどうかである。ミシン油を歯に点せば大丈夫といっていた。556ではダメだという。
天気は真によく、日に焼けた。京都の花見の時のような青空だった。


話は変わり、”獄に咲く花”の中で非常に印象深く、自分の日常の中で思い当たることがあった。
獄中で、吉田松陰を慕う女囚が、吉田松陰に来た母からの手紙を読み聞かせる場面だが、吉田松陰は丁度その時絶望しており、寝転がって不貞腐れて聞こうとしていた。
女囚は、その態度を見て、凛として毅然として吉田松陰を正した。松陰は、その瞬間、たちどころに正座をし、女囚に対峙した。
この場面を見て、どのような上下関係あるいは思慕関係であれ、正すべきは正し、受け入れるべきは率直に受け入れる、ということの人の道を強く受止めた。
先だって、相棒が凛として自分を正すことがあったので、特に感慨深かった。なかなかできることではない。立派なことだと受止めている。