疲労困憊継続なれど 心地よき日々 善き日々の思い出を 心に刻め 悲しみの時に 奮い立てるように。

おはようございます。
4時起床。天気は不明、まだ真っ暗。大阪の夜明けは遅い。目覚め快調だが、目の調子が悪い。充血している。
本日の予定は、およそ6時半くらいののぞみで東京に戻る予定。仕事は沢山待ち構えている。
また、この木曜日から大阪にやってくることになる。


21時50分現在。帰宅。
またまた疲労困憊。昨夜はよく寝たんだが、今朝の寝起きは余り良くなかった。エアコンが暑過ぎたのかもしれないな。目の霞がなかなかとれなかった。
のぞみ車中は、初めての著者”志水辰夫”さんの”行きずりの街”だ。テンポがあって飽きさせない。じっくり浸ってきた。
途中富士山がとてもきれいに見えた。麓は雲に覆われていたが頂上までの半分以上はクッキリとした美しい姿を見せてくれた。今日の一日の幸先を示すようでとても気持ちが良かった。初めての経験だが、車掌さんのアナウンスで”お寛ぎのところ申し訳ありませんが、富士山がとてもきれいに見えています”というアナウンスをしてくれた。早朝だけの案内だろうか。


東京での仕事は、打ち合わせが数件。どっさり溜まっていた決裁書類。そのほとんどを片付けることができた。夕方になると、よく寝たとはいえ疲れが出てきた。
今日の積み残しの懸案は、展示会の件だ。これは各所との調整が必要なので時間がかかることだ。
相棒から人事総務部門についての参考資料が送られてきた。この送付の意味はとてもよく分かっているので、まず自分がよく読み、部下にも配信したいと思っている。このように気がついたことを連絡してくれることを感謝している。自分がこの分野に素人だからとても助かっている。
もう1人の相棒には、一方では大きな課題を出しているが、これも勉強。ストーリーを創り上げることの難しさは誰でも出来ることではないが、ちょっとしたコツさえつかめば、あるいは感動さえ消化できれば、あとは上手くいくもの。そのプロセスを味わえるように工夫してあげたい。


妖怪のように混沌の仕事。そんな仕事がある。いつまでたっても先行きが見えない、あるいは瞬間瞬間に形や方向が変化する仕事。そんな仕事なんてある訳ないじゃん、と反駁されるかもしれないが、実は仕事の多くがそうではないかと思っている。
あるときは泥沼のような先の見えない様にウンザリする。そんなとき、根を詰めないで気分転換することに決めている。そこら辺を散歩する。煙草を吸って輪を造って見る。TVを見る、それもバラエティを。等など気分を解放してみることにしている。そして、難しく考えないで素朴に考える。あるいはその仕事の成り立ちや経過を人に説明するようにまとめ直して見る。
すると何だか、糸が解けるようにもつれの原因が見えてくる。解決が見えなくとも、何が問題かが浮かび上がってくる。
自分が人に説明できないことは、やはり問題をはらんでいるのだ。よく言われるように、自分に問いを投げかけよ。問いが明らかになれば解は出たようなもの。
それに不明なことを不明なままに抱えないこと。足を使って聴きまわるも重要なことだろう。聴きまわることは、ある意味ネゴシエーションも兼ねていると思っている。自分への味方を得ることにもつながっている。
最後はやはり諦めないことなんだろうな。粘りこそ、執念こそ、実を得る本質だろう。
自分への問いかけでした。


きょうは、早く寝よう。もう眠くなってきた。
明日もまた、善き日でありますように。