激しく生きようぜ 心の平和が 幸せとは限らない。

おはようございます。
4時半起床。天気は曇り。目覚めは大いに眠し。
きょうも大忙しの一日となろう。昨日の風邪ひき模様は、治まったようで一安心。


19時50分現在。まだまだ。
仕事中。だが、ちょっと休憩。
きょうの慌ただしいこと。想定通りではあるが。
明日の取締役会の準備に追われながらも、リテールテックの打ち合わせ、次回出稿の広告の打ち合わせなど忙殺。
そんな中で、映像制作体制を大きく転換する舵を切り始めている。これは持論もあり、皆が一応の経験を持ったコンテンツのプロになるためには、安直に外出しのスタイルを変える必要がありと判断しているから。
確かに外出しをすれば、いい切れ味でそれなりの品質のものは出来るが、頼り切るといいなりのことしかでき上がらない。また、つまり批評する目が育たない。さらに実力がないから批評すら出来ないということになる。これでは独立したコンテンツ部隊はでき上がらない。また部下も育たない。そんな循環に陥ると考えている。
そのためには、自前で全てを数回経験してみること。それによりプロの技を見出すこと。並行して、どんな分野でもよいから自分のコンテンツのプロとしての領域を持つこと、が必要と考える。
その領域があってこそのプロなんだろうと思う。
つまり何かオリジナルを生み出す力があってこそ、それが他分野のコンテンツへの道を開くのだ。そのオリジナルとは、音楽の演奏であったり創ることであったり、文筆であったり、絵だったり、映画だったりする。見たり読んだり聴いたりは創作に当たらない。批評するベースも生まれない。
私の想い。目指す最終はプロデューサーでもディレクターでもよい。しかし、そのいずれも、創作についてオリジナルを生み出せる技量(技術とは思ってないんだが)・才能(磨かなければ光らない)がなければ、それはテクニシャンあるいはビジネスマンでしかない。
私が求めているのは、クリエーターなんだ。
長年携わっていても、永遠に今から抜け出せないのは、切り開く力がまだ足りないからだと思っている。
前にも少しふれたが
・経験を積むこと、世の中の蓄積された技術を広く身体で知ること
・そのうえで、現場現場(直面する千変万化の課題)に対応できる閃き(オリジナル)を見出すこと
・さらに、その閃きを組み入れて物事を生み出すための、粘り強い根回し、説得、交渉を重ね実現のゴールまで頑張ること。あるいは途中途中に発生する事態での変化を受け入れる柔軟性を持つこと。
のような3拍子も4拍子も同時に備わらないと、クリエーターではないと考えている。
以上は、きょう東京と大阪の相棒にそれぞれ言ったことでもあります。
会社が大きな変化を遂げようとしているときに、誰がこの道を先んじるかであろう。


22時15分現在。帰宅。
きょうも疲れたな。
仕事が過度なストレスになるという人がいる。その人と、そんな話を煙草を吸いながらしていた。自分には、その気持ちがあまり理解出来ない。自分でも、経験したことがなく、初めてでとても重い仕事が来る事が度々ある。都度、苦しくなる。しかし、嫌になることはない。何のためらいもなく、その仕事を受け取ることにしている。
人間に出来ることは大抵のことはできよう。もちろん才能や技量がなければできないこともあろう。しかしそのポジションになれば自ずと処し方は分かる。それもプロの仕事の仕方だと思っているんだ。
技術から総務に移る時も、A社からB社に移る時も、何のためらいもなかった。新しい環境は、新しい自分を創るものとして受け止めている。いま、経理に移れと言われれば辛いとは思うが、嫌だとは言わずにハイと言うだろう。苦手が克服できるいいチャンスだと感じて。
外から見ると、何だ流されるままか、と言うかもしれない。しかし、いつの間にかその分野で力を発揮できる自信はあることが一つ。今一つは、自分がオリジナルを創る、別の力も弛まず蓄える研鑽の自信だ。
問題は勝つことではない。クリエイティブに向かう敵は無限である。そして自分のオリジナル創作は唯一のものである。
でも自分は仕事の達人になろうとは思ってなくて、やはりクリエーターであり続けたいと思っている。


頑張ろうぜい。


朝:生姜ゆず蜂蜜トースト、サラダ、ヨーグルト
昼:四川坦々麺(かなりの久しぶり)
晩:鮭塩焼き、牛乳シチュー、生木耳の炒め、三穀物米ご飯