26時帰宅

連続書き込みも、きょうで途絶えてしまった。のかな。
まあ、それはいいだろう。
忙しい一日だったな。
朝は、24時から1時間ごとに目が覚め、気がついたら6時。顔を洗うと目が真っ赤。何かの予感。
一日中の会議を数件こなし。明日の資料を準備しているともう夜が来た。
そんな時に電話がかかってきた。明日のことを考えると余り気のりはしていなかったが、いつかは話をしない訳も行かず、意を決する。
遠く迂回した話をしたが、この比喩話が分かってくれただろうか。激論になってしまったが、分かってくれたかの実感はない。
人は長い間対応し続けると、その関係が当たり前と感じてしまう。人の関係は、仕事の出来でつながっていると誤解してしまう。
実は、自分は人とのつながりは仕事でつながっているとは全く思っていない。信頼だけでしかつなげていないんだ。ごく普通のことだけれど。
しかし、とっかかりがそこにあっても長い間仕事をやり取りしていると、仕事の成果でつながっていると誤解してしまう。
自分には、全くそんなことは斟酌がない。
どんなに仕事ができたとしても、これまでのかかわりがあったとしても、基本的信頼を失うことが起きれば、自分は直ちに付き合いをやめる決断をする。
それはと例え一方的であっても、公平なんて事や、事実や真実は全く関係がないことなんだ。自分が仲間と思っている仲間を、汚すことがあれば、汚すと感じることがあれば、仕事の関係は関係なく付き合いを断ち切ってしまう。
比喩が長すぎて分からなかったかもしれないが、自分は既にブレーキを踏みつつある。符合して、自分とは関係なく、別の意味で新たなブレーンを探されている事にも気がついていない。
仕事があって人間関係が成立すると主張されたが、自分には別世界のことだ。先に人のつながりがあってこその仕事、が自分の考えだ。真理が何かは全く関係のないこと。自分がそう思うだけのこと。今回は自分が仕事を出す側にあることを考えれば、自分の権力の中で采配するだけのこと。長い付き合いをしているとそんなことが忘れ去られ、別の主張が述べられる。
分かってくれれば、修復の接点はあるだろうが、きょうの印象では自分を覆すには至らない。相手は、議論をしているかのように受け止めているだろうが、自分には議論をしているつもりはなく、どう理解してくれるかの反応を確かめているにすぎない。そのことが分かるかは、相当にセンシティブでなければならない。感じてくれればいいのだが。
自分は、相当な覚悟で舵を切り始めている。その舵は容易なことでは戻らないことは確かであろう。
こんな時の自分の冷静さはある意味誇りに思っている。


朝:生姜蜂蜜トースト
昼:会議中の弁当
晩:宴席であって懇親ではなく