混迷作業も 一段落し ほっとして吸う 煙草の旨きこと。

おはようございます。
7時起床。天気は小雨。昨日はよく寝ました。
きょうは、仕事も仕上げの日。チャッチャと仕上げてキーマンとのやり取りにはいる。朔日は、keynoteでの絵図らの作成は終了したがナレーションの設定がちゃんと同期しない。ナレーションなしでの設えに急変更することに決断した。
一昨日の成果、iPadでのカーソル移動はどうやるのか不明だったが、相棒が教えてくれた。機能がないのかと思っていた。good。


1430現在。仕事は佳境に入っている。
第2校をファックスする。そろそろめどが立つ、ような。現在折り返しを待つ。
印刷する際とファックスする際にキーボードで遊んだら、途端に障害が発生。プリンタの紙づまりとファックスの紙詰まり、遊ぶなと言うことだろう。
いよいよ煙草がきれた。


1520現在。光明。
仕事にも大きな節目を通り過ぎたよう。気を抜かずシッカリとまとめ作業にはいることにしよう。
悼む人、 を読了して感じること多くある。
まず、筆を置くまで3年かかったとの話を聞いて、小説を書くということの作家の苦しみがよく伝わってきた。悼む人についてはこの先どの様にまとめられるのだろうというドキドキする思いが渦巻いていた。何度も方向転換が行われたのだろう。小説は、作家の最初の構想とは違って、登場人物が勝手に動き出す新たな展開との調和の産物だ。作家は、だからこそ多いに悩み、その作品が気に入らない結果ともなることが多いだろう。
つまり、構想はあくまで構想であり、動き始めた物語は、そして主人公の生き方は、構想を飛び出すことが在るのだ。だから、書くことが魅力的なんだろう、苦悩も生まれるんだろう。
そういった意味では、さらさら書かれた物語は、面白くないのかもしれない。
自分が多くの小説を読むのは、物語の中の登場人物の心の動きと、それに作家が翻弄され苦悩する内面を想像する面白さに在るのだろう。


2115現在。業務終了。
きょうは目一杯仕事だった。目がわやわやで遠近感がなくなっている。小さな文字が全く判明出来ない。
きょうは早く寝る事にしよう。また明日から早起きだ。
明日からの車中読書は、一昨日仕込んでおいた浅田次郎さんものだ。



朝:梅ジャムトースト、焼売、ヨーグルト
昼:ピリ辛ビビンバ
晩:鯖寿司、駅弁