おはようございます。
千葉のお天気は晴れたり曇ったりで目まぐるしい。
よく寝ました。9時間は寝ましたかな。起きれば早速に目が痒くクシャミが出る。
今日のお昼は、義母達が焼肉屋に行くというので、私は確定申告しながら留守番です。義妹の家のワンちゃん(もちと言います)と留守番です。留守番中のもちは、寂しそうにいつも私の膝の上で寝てしまいます。物音がすると、急に膝から飛び降りて、玄関に走っていきます。間違えたと思うと、エヘッてな顔をしてまた膝に乗せてくれと目を見つめます。私はいつもその目に騙されてしまうのです。
アッ、もちがきました。もちの私に対する熱烈2分間アピールが始まります。が、その後は冷たいものです。


1130現在。
もちと二人だけの時間です。一緒に寝っ転がってTVをみています。お父さんは高校生、というドラマです。涙が出ています。しみじみとしたドラマです。
俺はわがまま過ぎるんかもなー。もっと若い者みんなに気を使わないといけないんだろうな。


1635現在。
もちが帰っていった。
それまでしきりに、私が涙を拭ったパジャマの部分をペルぺろといつまでも舐めていた。きっといい塩味だったのかな。


私は、いつも悔しい思いと幸せを感じている。それは、ただ一つの裏腹なことを中心にしている。
それは見習うべき上司の思考の幅の広さと強さに、私が先回れない悔しさと、その背中を見ていつも学べていける幸せのことだ。
彼の人は、私には指導はしない、私に差し出した仕事の結果に無言で赤を入れるだけだ。いつも赤で一杯だった。今でもそれは続いている。しかし最近は、私の凡ミスもすくなりつつあるが、最も嬉しいのは、赤が入る箇所が、全く新たな追記で入ることがほとんどになっていることだ。
私は、文書家として形式や表現にはかなり拘っていて、いまそのことについてはほとんど何も指摘はない。しかし、形式のフィーリングが合わない当初は相当に苦労を重ねた、双方に。その新しい融合書式が出来上がったということだろう。
私の仕事のスタイルは、彼の人に少し似ている。仕事ぶりの背中を見せて、自分の先を越してほしい、とおもっていることだ。
自分の仕事ぶりには、指摘を受ける隙は見せていないと思っている。量にも、質にも、変化対応にも。もちろん積み残しも一杯あるが、都度の局面はなんとか乗り越えているつもりだ。ツキも大きくあるが、それは仕事に尽くしているご加護のせいだろう。


1830現在。本日はワンちゃんと寝て過ごした、確定申告ならぬ不確定深刻の1日でありました。まあ明日があるからいいでしょう。本日少しだけ古事記を読み進めました。多くの神々の間にも、醜い争いがあり国造りがなされてきた謂れがよく分かってきます。神々の名前は、かねて知ったる幾人かしか分かりませんが、当時より、嫉妬、妬み、裏切り等、現世の人の心の有り様と重なります。はたして神とは何か。これは一つの神が書かれた比喩やメタファの教えではないのでしょうか。古事記に現れてくる神々は、神が神の子として造られた人間そのもののことではないでしょうか。そんな気がしています。まだまだ物語は始まったばかりですが、静かに古代の人々の息吹に触れていることにいたしましょう。


いつの日か 訪ねたき 古代出雲の 神の跡。


先週、二つの手紙がきていたことを思い出した。一つは、私の恩師が赤坂の事務所を閉じて自宅にて仕事をするのだという案内状だった。昨年初めにお会いした時には、足がたいそう不自由でしたし、高齢になられているので通勤が大変だろうなと思っていました。赤坂の事務所にはよく通いましたー。共著の打ち合わせや放送の下打ち合わせに。もうお付き合いを始めて40年になりましょうか。お体にご自愛ください。
もう一つは、中学の親友です。よく連れ立って、大宰府宝満山に登りました。手紙は、最近宝満山に再び登り始めたというもので、写真が添えられていました。私ももう一度登りたいと思っています。